なんで本気でやってるの?
僕は4歳のころから、高校卒業までずっとサッカーをしていた。特別うまいわけではなかったけど、中学の頃には全国大会に出場したりもして、本気でプロを目指すようなプレーヤーの一人だった。
結論から言うと、高校卒業とともに競技としてのサッカーからは離れる決断をした。たくさん悩んだし、迷ったし、今でも、「あの時サッカーを続けていたら、もしかしたら。」と考えることはある。
けれど、僕は僕の決断を誰よりも尊重し、誰よりも信じている。だから、後悔はしない。
さて、本題に入る。僕が現役でプレーしているとき、少なくとも高校1,2年生くらいまでは、本気でプロになるつもりで日々練習していた。
だが、チームメイトの中には、プロを目指すつもりがない人なんて、たくさんいた。そんな彼らに、失礼ながら僕は時折こんなことを思っていた。
あいつらは、どんなモチベーションでサッカーをしているんだろう
もちろんサッカーが好きだからというのは、言うまでもない。しかし、毎日朝練があって、放課後暗くなってもボールをけり続け、休日も一日つぶれることがほとんど、理不尽な怒られ方をすることもある。
自分だったら、「プロになりたい」という強い動機が、それらの辛さを乗り越える原動力だった。
しかしそのモチベーションがない人が、ただ遊びでサッカーをするのではなく、部活やクラブチームで、青春を全部かけてサッカーをしているのは、どうしてなのだろうと。
今思えばどうしようもなく浅はかな疑問だった。けど、自分には本気で分からなかった。きっと自分だったら、逃げ出したくなると思ったから。
その頃の僕は、「スポーツをすること」が、どれだけ素晴らしいことで、どれだけかけがえのないものか、よくわかっていなかったのだ。
高校を卒業するときに、それまでの自分の半生を振り返る授業があった。
思い返すと本当にサッカーしてこなかったな、と、バイトしたり遊びに行ったり恋愛したり、学生らしいことなんてせずに、プロになるためにサッカーし続けてきたのに、結局辞めるのか。
そう考えると、少しもったいない気もしたけど、
だったら、最初からやらなければよかった
とは、決して思わなかった。
振り返ってみたら、友達も、自分の居場所も、毎日の予定も、生活リズムも、喜びも悲しみも、辛さも悔しさも、楽しさも、本当に全部くれたなあと。
もしサッカーしてなかったら、あいつともあいつとも出会えなかったし、負けることがどれだけ悔しいか、勝つことがどれだけうれしいかなんてわからなかった。
「本気でなにかをやること」がないまま、青春時代を終えてしまうところだった。
何もプロだけがスポーツの意義じゃなく、レギュラーになるとか、全国に行くとか、うまくなる、○○年間やり通す、なんてふうに、モチベーションは数多くある。
サッカーが青春を占めて、色々できなくなったんじゃない。
サッカーが僕の青春を、彩ってくれた。
当然スポーツをすることが青春のすべてではないし、ほかの道だってそれぞれ輝くものだろう。
だけど僕は、サッカーをすることでしか得られないものを手に入れた自信がある。ほかの学生がそれぞれの道で、それぞれの青春でしか得られないものを得るように、僕はサッカーで、かけがえのないものを得ることができたのだ。
僕が伝えたいのは二つ。
ひとつは、スポーツに関して、「プロ目指してるわけじゃないし」で逃げたり手を抜いたりするのはもったいないということ。
もうひとつは、自分がスポーツから何をもらっていて、何を学んでいるかを意識してみること。
世界中でスポーツが、プロアマ問わず愛されているのには、それだけの理由がある。それだけの熱狂が、興奮が、悔しさや喜びが詰まっている。
たくさんのものを僕にくれたサッカー、スポーツは、月並みだけど一生の宝物だ。
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