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月曜日への備え方 ニューヨーク、アメリカ
最近、自分にがっかりすることがあった。
会社でプロジェクトに配属されて、少しずつ業務を任されるようになってきたとき。周りの雰囲気にも慣れてきて、気の緩みもあったせいか、惰性で仕事を進めてしまっていた。
結果、上司にはその件で指摘された。
「分からないことがあったとき、曖昧にするな。分からないことがあれば、分かる人に聞け」。
その通りだ。
こんなのものは今までの人生において、遠の昔に指摘され済みである。
社会人になって、いきなりこんな初歩的なことで指摘された自分を恥ずかしく思う。褒められて嬉しい人にがっかりされたら、自分が落ち込む深さも大きい。
一方で、人に聞かなかった理由もある。周りがとにかく忙しそうで、聞くのが申し訳ない。相手が答えを持っているかも分からない状態で質問をして、貴重な時間を取るのが億劫になっていた。
言い訳でしかないが。
実際に忙しいときに質問をされたとして、相手は質問をされることをどう思っているのだろうか。
春に、ニューヨークにあるMoMAという美術館を訪れた。
ゴッホやモネなどのアートが展示されている空間では、館内スタッフもまた異質な存在であった。
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ピンクの髪の毛に真っ黒なスーツを身に纏った女性は、一点を見つめたまま、お客さんからも質問に備えている。
もし私がダーツ旅か何かで見知らぬ町に飛ばされて迷子になったとして、その女性に遭遇しても道を聞くべき第一町人候補にはならない雰囲気。
でもその女性はMoMAにいて、フロアやアートの案内をしている。説明を生業としているのだ。
人は見かけによらない。
一見は話しかけづらいような人でも、話しかけてもらうことを待っていたり、物事を説明したりすることが好きだったりする人はいる。
尋ねられることは基本的に嬉しいはず。質問をされること、ヘルプを求められることは嬉しいことだという世の中であってほしい。
昨今のSNS上では、聞いてもいないのに自分のことをベラベラと話し、勝手にアドバイスしてくれるヤツがたくさんいる。
SNSという媒体が出てきたことで、アドバイス大好きマンの存在の多さが目に見えて分かるようになったが、こういう人はおそらく古来から存在したはずだ。
そんな人で溢れかえっている世の中なら、きっと質問されることは嬉しいという通説がある世界線を私は生きている。
そういう世界の方が、月曜日がしんどくなくて良い。
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