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🎁#49 the monogatary | 地獄って
※前回はこちら▼
【プロローグ】
「シャオリン…。相談したいことがあるんだけど…。」
「ピンシュ。珍しいね、こんな時間に。どうしたんだい?」
「あのさ…。」
私とシャオリン。私たちは相棒。共に苦楽を共にしてきた。今迄。様々なことを経験した。天国と地獄。そんな日々を繰り返す。私たちは信じていた。きっとその先に栄光があるのだと…。
【1章 黄金の日々】
<1-1 彼との出逢い>
野球。それは私たちにとって。希望の光…。
私とシャオリンの出逢い。それはまだ私が幼い頃。私はわんぱくで。親に迷惑ばかりかけていた。それでも。両親は私に。愛情を向けた。それが。第三者の目から見れば。憎悪なのだと。気付かず…。
そのような特殊な環境に身を置いていた私の前に。彼は突然現れた…。
「你好!你是日本人吗?」
第一声。彼は元気よく挨拶する。まるで。それが彼にとっての当たり前なのだと。そう主張するように…。
<1-2 彼との日々>
「普通である」こと。これほどまでに。難しい課題はあるのだろうか…。
価値観は人それぞれ。人の数だけ。人生がある。人の数だけ。物語がある。
私の物語。それは悲劇である。それでもきっと。心許せる友に。一晩中。語り明かすことが出来たのなら。それはきっと喜劇となる。その日まで。私はもがく。そう決めていたはずなのに…。
「あなたは誰?」
「やっぱり日本人じゃないか!俺の名前はシャオリン。お前のバディだな!よろしく!」
自由奔放。そんな四字熟語が彼には似合う。どうやら。彼の家庭は中国から引っ越してきたらしい。中国。私には想像することが出来ない世界。当時の私には逃げ場など存在しなかった。私の家庭環境を形容するのであれば。きっとそこは戦場なのだろう。救いのない日々。そんな人生に。一筋の光が差し込む…。
「人生とは壮大な暇つぶし」。ホリエモンの定義である。そうかもしれない。裕福なものにとって。きっとこの考え方は適している。しかしながら。私はどうなのか…。
幼い頃から。ありとあらゆる教育を叩き込まれる。その日々に。平穏など存在しない。苦痛。そんな感情が私を支配する。気分転換。そんな言葉とは無縁な毎日…。
「どうした?そんな暗い顔して。可愛い顔が勿体無い!笑おうぜ。知らんのか?笑う門には福が来るんだぜ。」
明るい顔をした彼は言う。まだ初対面だと言うのに。彼は私を侵食していく。あぁ。心地よい。こんな感情に支配されたのは初めてかもしれない。それほどまでに。当時の私は追い詰められていた。私は己の限界を悟っていた。幼い私に与えられし力など微々たるもので。屈服。それしか道は無いのだと信じていた…。
【2章 疾風迅雷】
<2-1 学生生活 ~始まり~>
私とシャオリン。きっと。私たちの出逢いは必然。正反対。それでも。私は彼に惹かれてしまう。この感情は一体…。憧れなのだろうか。それとも…。
青い春。それは。私とは無縁のものだと思っていた。しかしながら。その片鱗を。彼は私に見せてくれる…。
私たちの学校では。部活動を行うこと。それは必須の選択であった。当時の私はソフトボール部に所属していた。そこで。私はピッチャーを務めていた。責任重大。そんなポジション。しかしながら。それが。私にとっては丁度良かった。たとえ辛いことがあったとしても。ソフトボールと向き合っている時間。その時間だけは。嫌なことを忘れることができる。
忙しさに身を埋没させること。それが悩みを払拭する第一歩である。
「ピンシュは部活ってどこに所属してるんだっけ?」
「ソフトボール部だよ。」
「おっ!良いね。やはり球技しか勝たんからな。」
「シャオリンは?」
「俺か?俺はもちろん、野球さ!」
野球とソフトボール。あぁ。きっと私たちは似たもの同士。一球入魂。その1球に。私たちは魂を込める。
<2-2 学生生活 ~文武両道~>
偏差値。それは私たちにとって指標である。幼き頃を想い出す。当時の私は。何に対しても我武者羅で。ペース配分など考えず。「ただひたすらに前進する」。それが当時の私にとって。至上命題であった。
オーストラリアでの生活。それは驚きの連続で。日々。私は満たされていた。慣れない環境。それでも。私には仲間がいた。学校に行けば。嫌なことを忘れることが出来る。テニスに打ち込めば。雑念を振り払うことが出来る。何かに没頭すること。きっとそれが。幸福への近道なのだろう。
<2-3 学生生活 ~想い出>
修学旅行。それは学生にとっての一大イベント。行き先は国立公園。そこで皆で「グランピング」。そのような計画である。当然ながら。国立公園にお手洗いなど存在しない。ゆえに。私たちは様々な事柄に対してアンテナを向ける必要がある。そこは自然の世界。別空間である。日頃の常識など通じない。そのような環境で。私たちはキャンプするのである。