母の残した手帳を見たら、謎解きみたいになって、悔やみまくった話 1/3

久しぶりにnoteで文章考えて、発信できる楽しさをかみしめてます。

さて本題。


母が亡くなってから困ったこと。

それは、公的な書類を提出するために必要なあれこれが、どこにあるかまったくわからなかったこと。

私は母に
「エンディングノート書いてよ」
と言ったのだけど、特にそういったものを書いているのを見たことはなかった。

はあぁ。(深いため息)
またしても、私が言ったのに何もしなかった母、の構図。

老いては子に従えって言うじゃん。

わが子が言うならそうしよう、ってならないまま、急にあの世に行ってしまった。

まあ、頑固なんですよ。
母の頑固さがわかりやすいエピソード。
体にできた発疹を自分で治そうとして、病院に行かず、その結果、帯状疱疹だったため入院したことがあった。

以前、私と母に関することで、宗教についてnoteに書きましたが、

天心聖教の神様を心から信じ切っていた母は、市販薬ではなく、
天心聖教で売っているきねり(白いクリーム状の塗り薬)を塗って治そうとしていた可能性が高い。

なぜなら、母が普段使うものが置かれている、現在もそのままになっているスペースに、そのきねりがあるから。

さすがにね、なにもかも願いが叶うってことはないでしょ。
信仰心で人の望みが何でも叶うのだったら、地球上から戦争とか貧困とかなくなるんじゃないの? って思うよ。


手帳は、メモ帳だったり、スケジュール帳だったりといろいろ。

一瞬、人の日記を読むのか? いいの? と思ったけど、
「私が知っておいたほうがいいことが書かれてるかもしれないから」
と押し切って、中を見た。

まず最初に思ったのは、すごい読みにくい。

1ページにびっしりと文字が。
写真を撮って見せることはできませんが(スマホ持ってないし、持っていたとしても、そこまでネットに公開できないし)、手帳の中にある罫線にそって文章が書かれていない。

ときどき走り書きになっていて、読めないところも。

よく見ると、私の名前が出てくる文章があっても、途中から読めなくなったり。

その字の雑さを見ていて、ふと、自分との共通点だと思った。
私もときどきノートに何か書いたりするけど、たまに読み返しても自分で読めないことがあるくらい、字が雑になっているときがある。

なんでこんなところ似てるんだろう。笑


神様 > 娘(私)

何冊か読んでみて、手帳に書かれていたことで一番多かったのは、宗教に関することだった。

月ごとのスケジュールの欄に、何日に聖堂(天心聖教の宗教施設の名前)に行ったとか、先祖供養をするときにすぐわかるように書いたのか、先祖の名前がずらっと書かれていたりとか。

こんなの見なくても、母の熱心さは知ってはいたけど、……ここまで心に深く食い込んでいたのかと、なんとも言えない、複雑な気持ちになった。

その次が、自分の体に関すること。
一番古いノートにあった、横長の空欄に自分の体調を細かく書いた文章を読んだ。母の神経質さがにじみ出ていた。

それと、テレビを見て、それをメモしたものもあった。『あさイチ』とか。

茶色いメモ帳の表紙に
「メモ帳 1娘のこと 2お墓のこと」と書かれていたので、

(おお、これは!)

と思ってあけてみると、延々となにも書かれていないページが続き、
最後から2ページ目に少しだけ、最後のページにはびっしりと、父のお墓をどう郵送するか、私から聞いた「ゆうパック」に関することが書かれていた。

(……なんだこのトラップ?! 笑)

もし、いま母が生きていて、病院で会話できたら、この茶色いメモ帳を持って行って「ねー、ちょっとこれなに? どういうこと?」と訊いてみたかった。

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