悲しみの尺度
悲しみの大、小ってあるんでしょうか。
どれだけ好きか、共に過ごした時間でその差は決まるんでしょうか。
そこに1人でも悲しんでいる人がいればそれは数字、大きさ、浅い、深いなんて測れないと思います。
測れるとしたらその尺度を測れる人って誰なんでしょうね。その権利があるのは。
教えて下さい。
数字で測れないからこそ、その悲しみは2人であっても半分にはならないし、何万人いようと分けれないものだと思います。結局自分の中で昇華するしかないのです。
綺麗事は残酷です。
それで共感を得ようとする人もうんざりです。
耳障りの良いことを言ってる自分が好きなだけです。
その綺麗事で救われるって言ってる人は気持ち楽になりましたか?
勿論辛かったら吐き出せばいい、うんと泣けばいい。それに寄り添うのもいいでしょう。
でも、最近思うのです。
本当の悲しみを知ってる人は自分の中で乗り越えていくんじゃないかと。
そう、自分の悲しみの尺度を持ってるのは貴方自身です。
その尺度は他人に説明する物ですか?できますか?
他人はどれくらいを分けてもらえるんでしょう。
全部受け取れますか?