歴史なんて曖昧くらいがちょうどいい
坂本龍馬があんまり何もしていなかったおじさんになってしまったらしい。
歴史が好きだと言う人は大抵は創作から入っているはずだ。
小説やアニメや、下手をすると史実から妄想した自身の創作からのめり込むこともあるだろう。
これはもちろん創作の方がわかりやすい上に、楽しむためのおもしろ調味料が掛かっているので、当然といえば当然だと思う。
そこから入り、実際はどうなっていたのかを調べていくと、自分の中で作り上げていた理想の英傑や、ドラマチックな事件などは、そうかすると、現代でも起こり得る取るに足らない日常に姿を変えていく。
逆に史実を良しとする人もいるだろう。
歴史を知っているという事が好きな人もいる。
現代の国際関係や、文化などは歴史的な背景があって今の状態が成り立っている。この関係性がわかると、日常に潜んでいた気に求めなかったちょっとした不思議にどんどんと名前がついていく気持ちよさは、他にはないどこか高尚な趣味みたいになるだろう。
要するに知的好奇心をくすぐる楽しみ方だ。
歴史好きは大きく分けるとこの2つに流派が分けられる。
冒頭の衝撃の事実はそのどちらも悩ませているのではないかと思う。
理想の像が崩れていく悲しさ、前に頑張って獲得した知識が間違っている不毛さ。
前者もある程度史実に即しているからこその良さがあったはずで、全くを史実から否定されてしまうとそれはもう歴史好きのワッペンは胸につけれない。
後者も後者で、知的好奇心が欲しいならまた勉強できるやん!と言いたいところだが、全てを常に最新に保つなんて不可能に近く、徒労感はどうしても拭えないのだ。
新しく仕入れ直したとて、あの日の飲み会で鼻をパンパンに膨らませながら歴史の話をしていた過去の自分が当日休んだクラス写真の様に違和感たっぷりに脳の端っこにチラついてしまう。
僕はどちらの流派にも属しているため、この新発見が辛くてたまらない。鎌倉幕府のゴロ考えてた人はどんな気持ちだろうか。孫とかにも多分自慢している。お父さん、スゴイんだぞ。もう私がイイクニを作ったみたいなもんだからな。みたいなことを吹聴していたはずなのに。
歴史の解釈が間違えるなんてよく考えれば当たり前で、昨日今日のことだって定かではなくて、政治家のような偉い人だってあちこちで記憶にございません。と言っているくらいだ。
情報に溢れ、すぐにそれらしいモノにアクセスできる現代においてもそんなレベルなのに、今より学問が発達しておらず、コップの水滴で駄目になるような紙に書き記した情報なんて間違いがない方がおかしい。
歴史ファンが口を揃えて「もう発見しないで!」と言ったところで、人間の真実への探究心は止められるようなものではないのだ。
でもこれは、僕ら今を生きる人間にとってはプラスなのかもしれない。
過去にあった出来後に対し、誰かが良くない解釈をしてきたとしても、新事実が発見されればどうとでもなるということだ。
新選組は当時、内輪もめばかりを起こす不良団体となじられていたが、司馬遼太郎師匠がちょっとカッコいい感じで描いただけで世間の評価はいとも簡単にひっくり返った事例がある。
ならば、我々も昔のちょっと恥ずかしい行いを誰かに掘り当てられて追い詰められても、誰かがちょっとかっこいい感じでどこかで発表さえしてくれれば、その評価はひっくり返りはしないだろうか。
例えば、昔僕の小学校の同級生にKくんという子がいたのだが、この子が尿検査提出の日に自分の尿を提出した際、後ろからやってきた田中さんという女子の提出を見送ったあと、何を思ったのか僕に「田中さんのおしっこ何色かなあ」と発言したのだ。
昨日の事のように覚えてはいるものの、細かい状況となると自信がない。
おそらく僕にしか聞こえなかったと思う。しかし、そうは言っても定時内の教室。誰の鼓膜を揺らしていても全く不思議ではない。
小学生だしそんな深い意味はなかったのかもしれない。けれども、幼心にも全然擁護できないクオリティの気持ちの悪さだ。
その後の教室は発言の前後でも全くの変貌を遂げず、カーテンは同じリズムではためき、生徒たちのざわつきも全くの同じ、時計の針も同じ速度で今を過去にする作業を続けていた。
僕の観測範囲内ではあるが、僕の心臓がザワツキだした以外の違いはまったくなかった。
もし、この事件を僕以外の誰かが聞いていたとして、もし、K君が何かの間違いで有名脇役俳優とかになったとして、
週刊文春とかにすっぱ抜かれたとしよう。
前述の思いつきが正しければ、僕がこれからK君のいい感じのエピソードをどんどん量産することで、世間の評価はひっくり返るってことになる。なりますよね?
例えば、僕が当時何を思ったのか武器の方のパチンコにハマっていて、近所の川で雀に対して、かんしゃく玉を当てようと狙っていたのだけど、あ、もちろん毛沢東のような政策ではなくて、単に頭も心も悪くて、動いているものに当てたくなって、けれども素早すぎて中々当てられずに落ち込んでいた時に、一緒にいたK君が「可哀想だよ。辞めてあげよう」と言ってくれたから僕は変われたんです。
みたいなエピソードをモリモリと週刊女性とかに売り込んでいけば、ひっくり返るだろうか。
これで証明できた通り、歴史は塗り替えられるのだ。