高校魅力化 4年間総括(2022年総括・地域おこし協力隊を卒業。)
どうも。うぇい。こと、長谷川です。
すっかりすっかり更新が滞っておりまして、気がつけば2023年4月。この3月をもって地域おこし協力隊(以下、地おこ)の任期満了に伴い、地おこを卒業・退任しました。
うちは、コロナの特別措置で延長が認められる対象だったので、4年間務めさせてもらいました。
いやーーー。めちゃくちゃ濃密な4年間でした。自分の中ではやり切った気持ちと、清々しい気持ちしか残っておりません。本当に感謝しかない4年間です。
具体的に取り組んだことは、3年間の総括で挙げていて、
4年目はそれをまとめ上げた感じ。
3年目の1月に4年目で終わることを決めて、「次に繋ぐための1年」、「この3年をまとめ上げる1年」と自分の中で位置付けて駆け抜けました。
改めて、何をやったのか、そこからの気づきなどをまとめておきます。
こんな人にオススメ
地域おこし協力隊です。
何だったら高校魅力化コーディネーターです。
コーディネーターじゃないけど、ちょっとその仕事興味あるんです。
教員免許ないけど、教育現場で働くことに興味持ってるんです。
コーディネーターの内容もだけど、長谷川の話そのものに興味あるんです。
4年目の活動
意識したこと
冒頭にも述べたように、自分の中で活動を4年で終える・と決めたので、この1年間は「自分の活動の総仕上げ」&「次へのバトンを繋ぐ準備」と位置付けておりました。
なんで4年で終えると決めたか、とかはまた今度書きます。
3年目までの活動で行ったこととしては、上記記事にある通り、
でした。
自分の後継を設けてほしいことは町に伝えていたけど、実際事業が引き継がれるかどうか、後継者が出てくるかも分からなかった状況でもあったので、4年目で特に意識したのは、
★ 【総探】の3年間の設計づくり
★ 生徒が自走する体制づくり
の2点。
色々やった中で、総探と生徒会活動に焦点を当てて、自分がいなくなっても先生方が動ける環境を少しでも整えておこう、そう思って取り組んだ、そんな2022年度。
総探
総探に関しては、2020年度までは、各学年で「これをやってはどうかな」と思うものを都度都度提案させてもらっていたけど、今年度はそれを【各学年単位】ではなく、【3年通しての活動】として1つの筋を通して進めることができて、それまで学年ごと、担当者ごとで任されていた総探を、「誰が担当になってもこの学年で取り組むことはコレ」というカタチをつくることができまして。
それができたのは、先生方と総探のカタチをつくる機会をいただけたから。
学年の会議の中で、「今年度の取組」に対して先生方に内容提案をさせてもらって、それを基に、先生から意見をもらって…とすることで3年生の活動まで決まめることができた、そんな初回の会議が設けられたことが本当にラッキーだった。そのおかげで
「3年間通して課題解決型プロジェクトを実施する」
という大きな方向性が決まったおかげで、1年生~3年生まで何をしていくかを定めることができて、それを基にテキストをつくったり全体の流れを決めることができた。
活動を面白がってくれる先生方に囲まれて、それを推進してくれる先生方がいてくれたので本当に恵まれたとしか言いようがない✨
生徒の自走を待つ
総探に関しては、先生(伴走者)がいてくれるので、流れさえ決めてしまえばなんとかなると思った。
問題は生徒会活動。
これは自分が伴走者だったので、居なくなったらそれで終了してしまうな、と。ていうか、私が言わないと動かない・じゃだめだろう、と。生徒が自ら動くカタチができないといつまでたってもあかんな、と。
ていうか、そもそも言われないとやらないって状況を打破せんとあかんやろ、と。
20年度までは、「実績を出す」みたいなところにこだわってたんだけど、21年度はそこをちょっと手放してみて、「生徒が動くまで待つ」を意識してみた。とはいえ、完全に放置すると本当に何も動かないから苦笑、「これどうする?」とか、いいながらたまぁぁぁぁに突いて思い出させて、という感じでやってみた。
「○○するんだったらここまでしないといけないよね」
とか、そういうのを示すことは止めてみた。
「やるのはあなたたち。」、「やりたくないなら無理に動かなくていい。」、「やりたいなら動こう。」そんなニュアンスのことを伝えて、動こうとする生徒が出てきたら、その生徒をちょっと突く、ということをやってみた。
ここでもラッキーだったのは、主体的に意欲をもって動く生徒がいてくれたこと。
複数名いたらどうしてもやる気にグラデーションは生まれてしまうんだけど、その中でも「ちゃんと自分で動ける生徒」がいてくれて、こちらが何かを言わなくても動いてくれたんよね。
「経験していれば次に伝えていってもらえる」
というのが根底にあったのでそういう意味では、メンバー募集から活動をしていく一連の動きをしてくれたので、生徒だけになっても多少は動こうとしてくれる・・・・ハズ。。。
体制が整ったかどうかといわれると正直分からない。
でも、種はまけたんじゃないかな、と思う。
4年の活動をとおして改めて思うこと
教育の奥深さ、自分のおこがましさ(笑)
元々、子供のうちから「生きる力」が身についていたらどれだけいいだろう、と思って教育に関わりたいと思って飛び込んだ教育業界。
(詳細は⇩記事の後半を御覧ください)
ありがたいことに教育現場に携わらせてもらって、学校で色々なタイプの生徒たちを見てきて、思ったことは
「生きる力を【身につけさせたい】なんてことはエゴでしかないな」
ということ。
自分のことを振り返ってみても、自分の人格形成って別に高校生活の事柄で決まらないし、何だったら、今の自分はあらゆる人との出会いとか経験からできているもんだし、時が来るのって、人それぞれだよな、と。
学びに向かう面白さを知ったり、大人の言っていることの面白さを分かったり、自分に必要なものが何かが分かるタイミングって10代では難しい場合が往々にしてあるわけで。
ステーキが食べたいって言っている人に、「魚の方が美味しいよ!!」といってめちゃくちゃ美味しく調理した魚を目の前に持っていっても、「いや、別にそれ今食べたいわけちゃうし」って出された側は思うわけで、自分がやろうとしていたことってそれに近いのかもな、と。
別にごり押ししてないし、環境的にそれを押し付けることができない状況だったから、何度ももどかしい気持ちにはなっていて(笑)、でも、だからこそ気づけたことな気もする。
もちろん、まだ食べたこともない未知のものを食べさせて「美味しいじゃん!!」と目覚めさせたり、「別にいらんかったけど、思った以上にええやん!」って気づかせることができる場合だってあるから、無理やり食べさせる、が一概にダメとは言わないんだけどね。
施すな、施されるな
そんな話を人と話している中で、「施すな,施されるな」という話が出たんよね。施す側は良かれと思って施すわけだけど、施される側としては、別にそれを望んでない場合、施される側にはあまり何も残らないわけで。で、施した側は「あんなにやったのに、何だそれは!」みたいになっちゃって、誰もハッピーじゃない、っていう話なんだけど苦笑
うちがやろうとしていることは、まさに、この「良かれと思って施す」ってことだったのかな、と。
施す側は施される側の世界を見ようとした方がいいし、こちらの想いは一定伝わるものはあっても伝わり切らんもんだ、と思っておかないとだめだな、と。
良い悪い、の話ではなく、フラットに考える、ニュートラルに受け止める訓練ができたな、と個人的には思っているわけです。だから、こういう気づきってとても大事。
うちはどうしても見返りを求めたり、自分じゃなくても一生懸命している人の肩を持ちがちだから、そういった視点を持っておかないと、途中で息切れしちゃうだろうな、と。
4年間の活動をとおして
雑多な話をしちゃったけど、この4年は本当に人として成長させてもらう機会でしかなくて、何より人に恵まれました。
3月は送別会祭で組織、個人問わず本当にたくさんの人に労ってもらい、感謝されました。こちらの方が感謝してもしつくせないんだけど、それに負けず劣らずのレベルで。
最終出勤日は、自分でも想定していなかったけど、号泣しました(^^;)
感謝しつくしてもし尽せない、言葉に出来ないってこういうことなんだろうな、と。それだけたくさんの人に応援してもらったし、支えてもらったんだけど、それは丹後地域の人の温かさもあったのだと思う。
丹後に限らず、地方は割と人情味がある人たちが多いと思う。本当に、「人間生活」をしている人が多いから。
地域で、学校現場にヨソモノが入るということ
コーディネーターになりたい人や、導入する自治体職員、学校現場の先生方に向けてのメッセージは3年間の総括でも挙げていて、改めてよんだけど、やっぱりそれに集約されるなと思ったので、それに関しては3年間の総括の方を御覧ください。(最後の方です)
改めて、ヨソモノが入るにあたって、持っておくと気持ちが楽になるんじゃないかな、ということをここではお伝えして結びにしていきます。
心構え
「最初からうまくいかない」「思ってたんと違う」
は必ずある、と思って臨むとよいかな、と思います。
どういうポジションで、どういう状況ではいるかわからないんだけど、「こんな風にやってやるぞ!!」という気持ち、意気込みは大事なんだけど、それは一旦横においておいたほうがいいかな、と。
正確に言うと、「自分のその想いを実現させる」ことと「現実」とのギャップを正確に把握する、そういったことからするのが良いな、と。
4年やっていて、何だったら最初全然welcomeな現場じゃなかったことを経験した人間として、それはお伝えしたい。
成果はすぐに出ない
多くの地おこは移住定住とか、起業の足掛かりのために事業を始めたりするために活動することが多いんだけど、コーディネーターとか教育系で設定されている地おこでそれは中々難しいパターンが多いです。
さらに、教育の成果が出るのはものすごく時間がかかる。学校の動きをベースにするから、どうしてもそこは避けて通れない。1年間の動きがほぼ決まっている状況なので、高速でPDCA回したくても回せない、そんな状況も往々にしてあるから「ムキ――――!!!!(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾」ってもどかしい気持ちになることだってめちゃくちゃあります。
とにかく顔を売るべし。信用は足で稼ぐべし。
うちが昭和な人間だからかもしれないけど、やっぱり何かを成していくためには、face to faceでやり取りするのが一番だと思う。
AIやなんだと今はテクノロジーが発達してはいるけど、やっぱり判断していくのは人間だし、心を通わせられたら最強だと思う。人間はそんな合理的じゃない。
値段が安い、よりも、「○○さんがやっているから」で高いものを買う人がいるように、「顔が見える活動」をしていくことがやっぱり一番なんだろうな、と。
だから、色んなところに挨拶回りに行ったり、職員室で先生たちと他愛ない会話をしたり、生徒の変化について意見交換したり、そういった小さなコミュニケーションを沢山取っていく、そういったことがめちゃくちゃ大事だと思う。
最後に
4年やらせてもらっていて、1年目はそれこそ全然教育活動に携わらせてもらえなかったり、自分が関われる穴を見つけたりするのが暗中模索で大変ではあったけど、1度たりとも「辞めたい」と思ったことはありませんでした。
それは、「もうどうしたらいいんだ!!」っていうときに、何かしらのサポートがいつもあったから。愚痴を聴いてくれる人が現れたり、学校での活動を一緒に風穴あけてくれる力ある先生が味方に付いてくれたり。どうしてそういうことが起こせたかっていうのは、正直分からない。
運がよかったとか、神様が助けてくれた、なんて言い方しかできないんだけど、着任した当初、「絶対に途中で投げ出さない」って決めていたから、そういう心構えとか気持ちがあったから色々な助けが入ったんじゃないかな、と思います。
任期後の話とかどうやって進路を決めていったか、なんて話はまた別でしていこうと思うけど、コーディネーターとか公営塾スタッフでずっとやっていける人というのは本当に限られます。「自分の人生の通過点」という位置づけで取り組むことになるパターンの方が多いと思う。
そういう意味では、やりたいことが別にあって、その為のインターバルだと位置づけられていると良いのかもしれない。でも、ノープランでもなんとかなるっちゃなんとかなります。想いがあれば。
結局全ては自分次第。
良い形で終わるのか、望んでいない形で終わるのか、それも結局自分次第なんだけど、どっちになったとしても、それは絶対あなたにとって無駄じゃない。必ず何かしらの糧になる。人生の肥やしにしかならない。
誰の言葉かはわからないんだけど、人はその時その時でベストの選択をしているらしい。散々迷って、選んで「あぁしていればよかったな」って思うことは山のようにあると思うんだけど、でも、その選択をしたときは、それがベストな選択なんです。選んで決めたから「あぁしていればよかった」わかるだけ。ただそれだけ。
だから、多分何を選んでもベストなんです。
そういう意味では、迷うだけ迷ってなにもしない、が一番罪なのかもしれない。決めない、と決めることはそれまたベストであるんだけど。
話がややこしくなってきそうなので、この辺りで筆をおきます(笑)
とにかく、私にとってこの4年間は意味しかない4年でした。本当に成長させてもらいました。
次は、私立の高校にて、社会教育士として、探究学習コーディネーターという役職をもらってお役目果たしていきます。
そういった話もまたしていけたらと思います。
雑多に書いてしまったけど、何か聞きたいことなどあれば遠慮なくお聞きください。
ここまで読んでくれてありがとうございます!!