ATPの起源:ATPはアセチルリン酸から合成された?
ATPは細胞内の主要なエネルギー通貨として全生物に共通して利用されています。ATPはadenosine triphosphate(アデノシン三リン酸)の略称で、アデニン(核酸塩基の一種)とリボース(単糖の一種)が結合したアデノシンという分子に3つのリン酸がつながった構造をしています。酵素の働きによってATPが加水分解すると、リン酸が一つ外れてアデノシン二リン酸(adenosine diphosphate = ADP)となり、その際にエネルギーを放出します。このエネルギーは細胞の増殖や成長・運動など、多くの生物活動に利用されています。
生物活動に欠かせないこのATPの起源については多くの疑問が残されています。まず、ATPを構成するアデニンやリボースを合成するには、エネルギー供給分子としてATPが必要です。ATPの合成にATPが必要であるという事実は、ATP合成経路が確立する以前(すなわち生物が発生する以前)に活躍した前駆体の存在を示唆していますが、その分子が何だったのかは分かっていません。また、アデニンに他の核酸塩基が置き換わっても、リン酸結合の加水分解エネルギーはほとんど変わりませんが、なぜアデニンを持つATPがエネルギー分子として流行しているかも不明です。エネルギーや生合成の観点から見れば、DNAやRNAに見られるグアニンやシトシン、チミン、ウラシルなどの核酸塩基が付いた分子(すなわちGTP, CTP, TTP, UTP)でもよかったはずです。
最近、イギリス UCL (University College London)のNick Lane教授率いる研究チームは、これらの謎の答えになりうる実験結果を報告しました。先行研究から、ATPの前駆体としては、リン酸が二つ結合した二リン酸の他、二亜リン酸・アセチルリン酸・カルバモイルリン酸・トリメタリン酸など、様々な候補が挙げられていました。
Lane教授らはこれらの分子の内、アセチルリン酸のみがリン酸源としてADPからATPの生成を促進できることを見出しました。さらに、このアセチルリン酸によるリン酸化反応は、核酸塩基としてアデニンが付いたADPにのみ作用し、他の核酸塩基が付いた分子(例えばグアノシン二リン酸 = GDP)には機能しませんでした。反応は鉄イオン(Fe3+)が含まれる温和な弱酸性水溶液(30℃、pH 5.5-6.0)中で進行します。一方、マグネシウムイオンやカルシウムイオンが数十mmol/L程度以上に存在すると、ATPの生成は大きく阻害されました。このためこの反応は、一般的な海水中では難しかったかもしれませんが、マグネシウムイオンやカルシウムイオンが低濃度である深海アルカリ熱水噴出孔周辺や陸上の水環境など、初期地球の幅広い表層環境で進行していた可能性があります。
以上の結果は、現在の生化学反応に見られるATPの中心的役割の発端は、生物発生前においてADPのATPへのリン酸化を特異的に促進できたアセチルリン酸の化学的特徴にある可能性を示しています。
今後の研究で、酵素を必要としないアセチルリン酸の合成方法や、ATPのエネルギー分子としての利用方法などが明らかになれば、ATPに依存した生化学反応の起源、引いては生命の起源の理解がさらに進むと期待されます。
詳しくは下記の論文をご参照ください。
A prebiotic basis for ATP as the universal energy currency
Pinna S, Kunz C, Halpern A, Harrison SA, Jordan SF, Ward J, Werner F, Lane N
PLOS Biology 20, e3001437 (2022).