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人生何度でも這い上がれる

お久しぶりです、かなです。
2024年もあっという間ですが、私にとって今年は「復活」の年でした。
去年は自分でも何が起こっているかわからないぐらい運命の歯車が狂いお先真っ暗状態。

ただ、そこから一年半かけて、周りの人に何度も何度も助けてもらいながら、自分の人生を取り戻せた気がします。ようやく立ち上がれました。

そんなタイミングでnoteを書く理由は、
1)色々あるけれど、人生はきっとうまくいく
2)女性の方へ、婦人科の健診は必ずいってください
この二つを私の視点なりにお伝えできればと思ったからです。

体がダメになって、何もできなくなった半年

2023年はこれまで生きてきた22年で一番運命が狂った年でした。何もかもうまくいかなくて、自分が嫌いで、もう全部終わりにしたかった。

去年の始まりは愛知から東京への引越し。
大好きな仕事を続けたくて、大学を海外のオンラインに編入しようと決めて、愛知から上京してきました。けど、そのすぐ1ヶ月後には産婦人科で「青山さん、大きな病院で検査を受けてください」と言われるとは思わなかった。

これまで健康一筋だった私。もちろんずっと元気なわけではないけど、大きな病気をしたこともなかった。
ただ、異変が現れ始めたのはその半年ぐらい前だったかなと思います。ずっと生理痛とは本当に無縁で一ミリも痛みを感じていなかったのに、半年ぐらい前から毎回毎回痛みが増すように。薬がないと立ち上がれなかった。

何度も産婦人科に行こう行こう、と思ってました。でもハードルは高かったし、日中しかやっていないので『仕事仕事仕事』の脳みその私は、仕事を休んでまで行こうなんて発想には至りませんでした。
『薬を飲めば痛みには耐えられる』そう言い聞かせて受診をしませんでした。でも、流石に打ち合わせ中に痛すぎてしゃがみ込んでしまい、痛すぎて涙が出そうになってやっと行こうと思いました。
たまたま、東京に出てきて一度ご挨拶をしたい婦人科の先生もいたので、ご挨拶も兼ねていこうと。(多分東京に出てきていなかったら受診してなかったかもしれません)

そして検査をして2回目の受診で先生の顔が明らかに違った。そこで言われたのが「青山さん、大きな病院で検査を受けてください」の言葉。
そのあと何が起こっているのか説明してもらったけど、先生の顔なんて見れなかったし、何を言われたのか全く記憶にありません。
ショックでもなく、何が起こってるのかわからなかった。

姉が愛知から東京に来てくれて、一緒に病院についてきてくれたのが幸いでした。一人だったらまともに家に帰れなかったと思います。

それからはあっという間で、仕事辞め、4月には愛知の病院のベッドの上にいました。病気のことはもちろん、他にもバタバタとしてしまい、正直、入院している時が一番気楽だった気がします。
久しぶりにゆっくりできた時間でした。

私の体に何が起こったのか。
結論から言うと、卵巣癌でした。(厳密に言うと良性と悪性の間の境界悪性腫瘍)

私の病気は、もっと早く受診ができていたら薬物治療で済んでいたものです。わざわざお腹を切って腫瘍を摘出しなくてもよかった。
けど、先述した通り私にとって婦人科受診のハードルはものすごく高っかったので、半年放置した結果、薬ではどうしようもないサイズまで腫瘍が大きくなっていました。
また粘着性のものであったため卵巣の一部だけの摘出が難しく、片側の卵巣を全て摘出する結果となりました。

今は再発もしておらず大丈夫ですが、術後1ヶ月の結果では、摘出していない方々にも悪性腫瘍の恐れがあると言われていたため、そうなると私は一生子どもを授かることができなくなるわけです。
小児医療の事業を自分で手がけるぐらいには子どもが好きだった。だからこそ、死ぬほど怖かったです。ただただ泣くことしかできなかったけど、泣いていてもどうしようもない現実。それを受け入れるのにはだいぶ時間が必要でした。

その後、手術をした地元、愛知県から東京に戻ってくるも、心が安定せず、あまりうまくはいかなかった。プライベートも仕事も。
私にはどうしたらいいかわからず、ひたすらに落ち込み、術後の薬も合わず、手術後の結果もすぐには受け入れられませんでした。

それまで、当たり前に子どもを持てると思っていた自分がとてつもなく恥ずかしかったですし、傲慢だった。


自分を取り戻せたのは、間違いなく周りのおかげ

そこからは、手術をする前に勤めていた会社は辞めていたので、次の仕事を探さないとと思い、一社ヘルスケア系のスタートアップを挟み、昨年11月より現在働いている会社に転職をしました。

今もその会社で働いていて、人々が好きなことを仕事にできる世界を本気で実現しようとしています。
もうすぐ入社して一年になりますが、本当に素敵な仕事をしているなと日々実感しています。
企業様の採用のご支援を日々しながら、人に向き合い、事業に向き合い、まだまだ足りないこともたっくさんありますが、チームのメンバーに助けていただきながら、私も時には力になりながら、みんなで事業を作っています。

今、これまでで一番、人生を楽しんでいる気がします。
でも、よく考えると、今の仕事ができているのも、近くで支えてくれる人に出会えたのも、病気をしていなかったらきっとあり得なかった。

そして、病気をして一番よかったと思うのは、小さな幸せ、毎日幸せに健康で生きられる喜びを感じられるようになったことです。
それまでの私は、結果を出さなければ自分はこの世にいる意味がないとまで思っていました。だからうまくいかない日々もたくさんあってその度に自分が嫌いになった。生きている意味がわからなかった。

でも、仕事をして、たまに友達とご飯に行って、美味しいお酒を飲んで。そんな当たり前かもしれないけど、私にとってみたら当たり前ではない日々が、本当に尊くて幸せだなと思うことができるようになりました。

卵巣癌で亡くなる確率はとても高いわけではありませんが、ゼロではない。だから、進行具合がわからなかった時は、ネットで調べまくってあと3ヶ月でもしかしたら死ぬの!?なんて思ったことも。
その頃に比べたら、大好きな人たちと尊い仕事ができて、美味しいご飯が食べられて、最高の友達がや家族がいること、
この人生を送れていることに、私はとてつもなく幸せ者だと心から思います。

どん底にいた時に励ましてくれた親友や、辛くて泣きながら仕事をしていた時に辞めてもいいんだよと背中を押してくれた方。
私に小さな幸せを教えてくれた同僚や、仕事を通して人間として成長させてくれる上司。

そんなたくさん方に支えられながら、どん底から一年半かかりましたが、このnoteを書けるようになったぐらいには元気になりました。

きっと誰の人生にも、いなくなってしまいたいぐらい辛い時があると思います。
なんで私が!?なんて不可抗力にどうしようもなく怒りが湧くことも。
このままお先真っ暗で、もう人生どうとでもなれ、なんて自暴自棄になりたくなる時も。

でも、一人でいるのではなく周りの人を頼りながら、泣きたい時は全力で泣いて、落ち込む時は全力で落ち込んでもいいから、生きることを止めなけば、きっといつか、「私は大丈夫」って思える日が来ると私は信じています。


最後に、このnoteを読んでくださっている女性の方へ。

怖くても、婦人科の検診は必ず定期的に行って欲しい。
一人で行くのが怖ければ友達や家族と一緒に行くのも良いと思います。そして、行ってみて何もなければそれで十分幸せなことだから。

だから、違和感があってもなくても、定期的に検診は受けて欲しいです。


このnoteで書いたことが、誰かの力にほんの少しでもなれていたらとても嬉しいです。


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