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娘の卒園式と逃げたらひとつ、進むとふたつ、という話。

今日は娘の卒園式だった。

私は娘が一歳の頃に離婚してシングルマザーになった。
早いことで、それから五年の月日が経とうとしている。

卒園式の朝、私は少し曇った空を見つめながら、あぁ、また「失われる」のか、と思っていた。



私が一番限界だった、離婚したばかりの頃。
私は口癖のように「失われていく」と言っていた。

日々、毎日、毎分毎秒、娘の時間は失われていっていると思っていた。だから、何かにつけて動画を撮り、写真を撮った。
このかわいい一瞬を、少しでも多く残したい、刻み付けたいと思っていた。

少し、病的な「失うことへの恐怖」があった。

私が見る世界では、娘の一歳という貴重な時間は、どんどん減っていく。
それが「失われていく」ということだった。

「変な考え方をするね」

そう友達にいわれた。
彼女からすれば、子供の一分一秒、進んでいくことは「得ている」ということになるのだそうだ。
日々、成長していくだけで、それは「失われる」ことではないという。

私は自分のこの失われていくという感覚が、世間一般的なものではないことは理解していた。
それでも、失われていくことの怖さが勝った。

そうして私のアルバムは娘で埋まっていった。


「失われること」を恐れて五年の月日が経とうとしていた。
今はというと、まだ「失われている」とは感じているものの、昔ほどの恐怖はない。

恐怖が薄れたのは、娘が永遠に増え続けている、からだと思う。

娘は、どんどん増えている。身長や体重のことではない。
人としての情報量がどんどん増えている。昨日できなかったことが、今日できるようになっている。
時間を失う速さよりも、娘の情報量が増えるスピードが圧倒的に上なのだ。

私は、娘というひとりの人間の成長を舐めていたのだ。

それでも、今までお世話になった園を離れることは、また「失われる」ように感じられた。
娘が、私と手を繋いで通った日々のことを。
それらが過去になっていくことが、とても寂しく思えた。

未来の私に向けて手紙を書いておこうと思った。
五年前の私があんなに恐れていたことが、今はそんなに怖くなくなったように、数年後の私は、もしかしたら今の私とはまるで違うかもしれないから。

彗星の魔女のスレッタ・マーキュリーが「逃げればひとつ、進めばふたつ」と言っていたのを思い出す。

私は立ち止まって、失うことを恐れている。
どちらに進むのか、未来の私に託したいと思う。

以下は私のための手紙なので謎の有料にする(笑)

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