なごむ場所
今思うと、若い頃の悩みは若さゆえだけに、とても繊細なことだったりすることありました。その時は深く悩んでいますね。今の歳になるとそんなことは当たり前でしょ、みたいなところになり、こうやって、年を重ねて若者の心に無神経な人間になっていくんでしょうね。
その当たり前だと捉えられるようになって、楽になっていくこともありました。
学生のころ、いろんな自分がいることに悩んでいました。大学での友達の前での自分、バイト先での自分、彼氏の前での自分とか、どこにいっても違う自分がいると思ってました。何だか苦しかったんですが、どこにいるときにナチュラルでいられるかはよくわかってました。
私はバイト先が好きでした。ウエイトレス終わって、夏休み終わってから働き始めたところです。みんな気さくでバカなこといってて、でもいい奴らでみんなが好きでした。某野球場のキッチンでした。大手なのでバイトの部所もたくさんあり、相当な人数が働いてました。その活気もよかったです。ロッカールームがあったのが、アリーナ席のステージ脇だったので、ライブリハーサルをちら見してたり、それもよかったです。
仕事は、ハンバーガー、ポテト、牛丼、中華丼、チキン、他にもいろいろありました。ネギきざんだり、ホットドッグ作ったり。洗い物が大変でした。
居心地いいバイト先で、人がよかったんでしょうね。ほとんど、学生ばかりで、あとはパートのおばちゃんたちがいてくれたことが、また和むところでした。今でも思い出すと、ここでの記憶はあたたかさが込み上げてきます。
みんなバカ丸出しでカッコつけてなくて、今だって書きながら顔がほころびます。
よく働き、よく笑い、よく呑み、というところです。 どれだけ呑んだでしょう。そういう時間を共有した仲間たちです。
ここのバイトは卒業まで続いたので三年半やりました。職を転々とする私にとっては長いとこでした。やっぱり人ありきですね。つくづくそう思います。
この場所があったことが、ひとつわたしの暮らしを安定してくれた点かもしれません。いい巡り合いでした。
年賀状をやめてしまい、つながりがなくなってしまいましたが、問題は、私の記憶の中でのイメージがどれだけあたたかく、笑顔や笑い声に満ちているか、それが大事なことで、彼らはいつだって、あははって笑っていてくれています。そんな記憶は救いですね。
それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。
追伸
いい朝です。