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ナオコライフ②1 お盆中のあれこれ

2023.7.15

まさに新盆の日。早朝コーヒー淹れて、目を覚ます。昨日迎え火をたいて父が帰ってきたような気がする。こんなふうに感じるのははじめて。夕方の提灯がきれいだからかもしれない。妹が帰ってきて、のんびり過ごす。いつもと違う空気なのも新鮮。

朝ウォーキングに出て、ご近所さんと話す。家に着いたら、妹が起きてきて緑茶を飲みたいというので淹れる。なんでもない朝の営み。

お寺さんみえて、お経をあげていただき、やっぱりこんな行いが、母に、明るくしててくださいね、との声をかけていただき、励みになるのだとおもう。

書いていて、人に読まれない日記の解放感を感じている。読まれる日記とはなんなのか。休んでいるあいだ、ずっと日記を書いていたけれど、もっと解放されていた。読まれることになったら、なにか違和感を感じている。これが正直なところ。人の目の存在は、消し去ることができるわけではなく、むしろ、読まれることを望んでいるのだから。

お墓参りへ。弟家族と待ちあわせる。めいっこと墓石洗いをごしごしやる。家族ってなんだろう。わたしは盆暮れ正月が大嫌いで、この日が来る度に疎外感を感じてきたけれど、それも長いあいだずっと。今だにその意識が拭えない。妹弟四人の中でも、わたしだけが火のエレメントをもち、それも二つも、それでこんな生き方をしていて、そして地のエレメントをもつ三人が皆安定した?世の中では一般的とされる生き方をしていることを、いまだにわたしはコンプレックスのように感じていることを、盆暮れ正月に目のあたりにする。まるで、それが宿命のようで、いつだって落ち着かない。


2023.7.16

四時起床。コーヒーを父のカップで淹れる。皆寝静まっているが鳥だけがさえずっている。昨晩、これからのこと、母がいなくなってからのことなど、大人だけになってから話せたことが、一つ安心感となった。わたし一人だけ、田舎に残るのだから。こんな早朝に、同じ屋根の下に皆が寝ていることを頼もしく思いながら一人で過ごすのは幸せなことなのかもしれない。もしかしたら、わたしが考えているよりも未来は孤独ではないかもしれないと、少しは希望がもてたところがあり、いやいや、そんなにあまくないよ、と自分にいっているわたしもいる。一ついえるのは、自分の波動をどんなふうに発していられるかで、随分いろんなことが変わってくるんじゃないのかな。一人の人間の在り方が、地球へ宇宙へと確実に影響しているのだから。

朝ウォーキングへ。最近曇ってばかりだったから、久しぶりに光を強く感じる。写真というツールを使っているときに、一番光の発し方を感じ取る。光を感じるだけで、生きてる自分を一歩一歩力強く感じるようになる。

弟たちが帰り、妹が残り、タロットをリーディングする。人には初めてのこと。妹の今の悩みを聞きながら、どんな内容についてみていこうかと話し合う。スタート。いい流れでメッセージ性豊かなカードが出てくれて、いろいろと現状の悩みなど話しながら読んでいく。良い結果が出たこと、妹を認め励ましたことを喜んでくれて、終える。わたしでも人の役に立てたことに満たされた。タロットは勉強がなかなかはかどらないのが悩みの種であるけれど、リーディングするのが一番の勉強になった。

お昼を母と三人で食べて、しばらくしてから妹を見送る。

気分転換にカフェでコーヒーいただく。


帰宅して、夕ごはんをつくって、二人でひっそりと食べる。いつまでも、送り火をたく気になれず、母と別のことしてたりする。そうはいっても、明るいうちに送り火をたく。こんな寂しい送り火は初めてだった。母の心労が少なくなるように見守っていてほしいこと、父に祈る。





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