幸せって
いきなりこんなタイトル。
こんな私にたいしたことは書けないけれど、単純に、午前中母と図書館二箇所周り、返却し、母は借りたけど私は積ん読読もうと思い、やたら読みかけの本がたくさん待ってると思ったら妙にわくわくしたのでした。いつもすぐそこにあるよ、という感じですが。それで、ショッピングモールで、こないだ買った服の刺繍がほつれていて、目立つとこだったので同じものに交換してもらいました。レシートがあったので、快くやってもらえてよかったです。
それで、図書館では近所の母のお友だちと偶然会えて、ふたりは山登ろうとか計画中です。
こんな何気ない日常は、ほわっとして意外な充実感あり、母が車の運転できるからこんなことも簡単にできるんだと気づきます。
障害を持つ私だけど、しかも働いてないし、でも、不思議と未来に対しての不安があまりなく、もうずっとそんなで毎日を過ごしていて、もしかしたらなんでも持っている人の方が、あまり持ってない私より不安なのかなと思いました。子供たちを心配する妹に、人生なんてどうにかなるとか、私階段から落ちたし、とかそういうことを話していました。私には親が子を心配する思いはわからないので、何ともいえませんが、苦労することを心配してもしょうがないと思ってしまうのです。誰だって何かしら苦労するもの。今の時代、苦労とかそういうことを言うもんじゃないのかもしれないけど、はっきりいって人間は経験から学ぶものだから、大変な思いをすると身になるのはたしかで、そしていろんなことに配慮もできるようになるようです。
経験という一言から連想する思いがあって、私は障害者なので、障害者という枠を設けられてしまうこともあり、自分からも自分に対して設けてしまい、身動きが取れなくなる場合があります。これは一言でいったら、
障害者のくせに生意気だ。
という偏見なんだけど、まずは自分自身に向けられているというのが一番大きな問題です。その偏見のせいで、こんな店には行っては行けないとか、こんなものは買ってはいけないとか、こんなことはしてはいけないとか、制限をつけるわけです。私はすぐに自分の心の動きに敏感な方なので、すぐにその制限をぶち壊そうとします。
そんなことは一体誰が決めたんだ!
と、ひとりで怒るんです。で、本当の欲求に従う行動に出ます。これが突破口になる。自分に制限をつけないで生きれるようにと思ってのことです。これは小さなことから大きなことまでいろいろとあると思いますが、何でもやってみよう、できることから。と、こんな思いは幸せにつながっていくと、幸せな人生につながっていくと信じています。
だからといって、あまり欲張るのは良くないなあと思いますが、幸せの定義は人それぞれで自分でもよくわからないとこがあるけれど、自分の今までの人生を思うと、あまり世間一般的ではないように思うので、これから先も何がおこるかわからないと踏んでいて、ある意味、何がおこってもいいよ、みたいな、未来を受け入れているとこがあります。あまり死ぬのも怖くないとこあるんです。
今現在のことは、未来になってみないと意味は見えて来ないのかもしれないけれど、それでも、今を大事に思っているし、これからも大事に思いたいし、今出会ってる人を大切に思っています。
それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。
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