見出し画像

うつわと老後

サインがきた。
そんなサインに反応して居ても立ってもいられずに、頭の中は目まぐるしく動き出す。そんなサインには直感的に動き出したいのが本心。

タイトルをよそに、まずは今朝のタロットを、

「ソードのナイト&ワンドの10」
勇敢に立ち回れるナイト。腰が痛いのはこんなに重荷で、一体どうすればすばやくできるのか。

朝から嘆いていて、その後の筆が乱れ何を書いているのかさっぱりわからない始末。でもね、心は元気なんですよ。

この休んでいた一ヶ月、老後のことを考えていた。生まれてから半世紀が過ぎたわけだけれど、老後なんてあっという間にくる。実際、この十年だってどれだけ早かったか。

私の中では老後は一人暮らしになったときを想定することなんです。ただいま母と二人暮らし、先のことは本当になんにもわからないのが世の常。ぴんしゃんしている母を心強く思いながらも、母と老後を語る。
「私、老後はうつわと共に暮らしたい」
「あんた、お父さんみたいなことをいうわねえ」
「一人用の食器棚くらいほしいよ」
「それくらい、いいわねえ」
母と娘はあけっぴろげな会話を平気でするのが常で、母不在の私の老後について、いつも話している。

父の残したうつわ、母の選んだうつわ、私が選んだ民藝のうつわ。これが共に在ることで、我が家の食卓が広がる。そして、共に食事をし、お茶を飲み、なんでもない会話が繰り広げられる。そんな、なんでもない会話がいつの日かうつわに染み込んで、やわらかい記憶となるときがやってくる。そんな記憶と共に一人でごはんを食べるときがくる。確実にくる。今、どれだけ豊かに母とつながれたかが、私の老後の食事の味わいが決まってくるのだから。

そんな切実な思いをずっと前から考えながら、うつわを買っていた。そして、より身近なこととなりつつあることを、この歳になって実感する。それに私には障害があるのだから、そんな簡単にはいかない一人暮らしだろうと思っている。今は母が手伝ってくれているようなことも、一人で、あるいは福祉の担当の人とやっていくことになる。だいじょうぶかな。

私みたいな、扱いにくい障害者は福祉の人との関係がとってもむずかしいのが事実です。母もわかってる。自分でもわかってる。でもね、一人暮らしを始めるとき、それはほんとの意味で自立するときなのかもしれないと思うわけです。だから、今からどれだけのことを身につけていけられるかが問われている。とくに家事をいかに楽しめるかだと思う。いやいやなんて、いってられない。家事のプロの母からまだまだ伝授してもらうことがたくさんある。

老後がまだまだ先のことであるように願うばかりの日々であります。でもね、ちょっとばかし楽しみもあるんですよ。力強く生きていきたいものです。




いいなと思ったら応援しよう!