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2024年はさよならの年

おはようございます。
今現在、ふり返り、そして、これからを深く考える時期に入っています。晩秋のとき、庭にはツワブキ、小菊が咲き、一番好きな季節です。水仙の芽が出て冬もすぐそこ、エネルギーを貯めていきひきこもる、まさにリトリートなときが待っています。

そこで、今朝のタロットは、

「4番皇帝&カップの3」
自らの人生を切り開こうとしている、背景は不毛な険しい山々があるが。そして、深い絆を求めているのか、収穫で祝杯をあげている。


今年はさよならの年であった。三人の女性の知人と別れている。しかも、みんなタロットのことで口論になったりで、結局、タロットの仕事も終わりとなった。良くいえば、タロットとどういうスタンスでおつきあいをしていくかを、よく考えていく必要があったといえる。知人との別れに後悔はないが、私自身、今日の「カップの3」が出て、女性同士の平和な関係を求めているのか、今は静かにしていたいのか、なんだかあらためて複雑な気持ちになってしまった。若い頃から、女友だちとの関係は複雑極まりないものだったし、女子会も一度も行ったことがない。ああ、あれが女子会だったのかな、と思うような、三人の集まりなどはあったな、と思い出す。

今、ハーミットモードであって、孤独でひきこもるときなんだけど、なんら問題なく寂しいとも思わず、ひとりの時間を過ごしている。もちろん、家に母がいるけれど。腰が相変わらず不調なので、あまり出かけることもなく、昨日図書館へやっと行ってきた。これから冬がきて、よけいにこもる季節となるわけで、それはそれでいいものだなと、楽観的なところもある。

要は、切り替えのときなんだけど、さよならの年だけあって、タロットの仕事が終わったとき、このような一つの節目がやってきたときは必ずといっていいほど読む本がある。吉本ばなな『「違うこと」はしないこと』、私のバイブル的な本である。タロットを仕事にしたことは、否定はしてないけれど、やはり違うことであったのかな、と思うふしがあって、だから三人もの人との衝突が起きたようなそんな気がしている。今思うと、短いけれど、激しい時間を送ったようだ。どうして人は別れるときに、自然消滅できないのであろうか、いつもそう感じる。摩擦がおきるとき、それはある程度予測可能であったりもする。

そして、「4番皇帝」がこれからの人生を切り開いていく新しい時期を、季節はずれながら考えるところもある。年末年始がせまっているというのがあるけれど、なにかと動き出すにはあまり向いてない季節。だけど、どう動けるか、少しは自分に期待したい。とにかく、腰を治して普通に動けるようにしたい。

雨が振りましたね。これから、どんどん寒くなっていきます。皆さん、どうぞ、お体に気をつけて過ごしてくださいね。今日は、なにがなんだか分からない文章になってるけれど、ある意味、内省のときを迎えているので、こんなになってしまいました。どうぞ、よい冬を迎えてください。では、またね。

空川ナオ




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