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【北極探検】 女性探検家ルイーズ・ボイドのスパイ任務 〜グリーンランド探検と「エフィー・M・モリッシー号」〜


1 探検の背景

 1940年4月、デンマークがナチス・ドイツに占領されたことにより、デンマーク駐米大使ヘンリク・カウフマン(Henrik Kauffmann)は、本国の了承なくアメリカとグリーンランドの防衛に関する協定を締結した。これにより、第二次世界大戦中、アメリカはグリーンランドを実質的に保護国化したのである。

 アメリカは北大西洋におけるグリーンランドの戦略的重要性を認識しており、これをナチスから防衛するため、軍事拠点の整備や飛行場の確保を急いだ。このためアメリカは、長年にわたり北極探検を行なってきた女性探検家のルイーズ・ボイドに、グリーンランドでの軍事情報収集などのスパイ任務を命じたのである。

ボイドが乗船した「エフィー・M・モリッシー号」の航路(引用:SEA HISTORY

2 ルイーズ・ボイドと北極探検

 ルイーズ・ボイドは1928年に北極を飛行機で探検中に遭難したロアール・アムゼンの国際救助作戦に参加し、さらに1930年代にはグリーンランド東部への4回の遠征を成功させるなど、極地探検のキャリアを築き上げて来た。当時、彼女は女性探検家としての名声をほしいままにしており、極地探検による科学的貢献から世界的な評価も高かった。

ルイーズ・ボイドのポートレート(引用:Marin Independent Journal

 アメリカ政府は、米国標準局(National Bureau of Standards)のジョン・デリンジャー(J. H. Dellinger)を通じてボイドに秘密任務の要請をしたが、彼女は『愛国心』から、一切の迷いなくこれを快諾した。公にされた探検の目的は、極地における電波伝搬状況などの無線通信調査及び地磁気調査とされたが、実際にボイドに指示されたのは軍事着上陸地点の観測やその他秘密軍事情報収集などのスパイ任務であった。

 この探検に使用する船は北極探検家のボブ・バートレット船長の指揮する「エフィー・M・モリッシー号」に決まった。ボイドはバートレットとは面識があったが、バートレットを含めて乗組員には、北極探検における真の目的を伝えなかった。それでも彼女は彼らと良い関係を築いていけると楽観的に捉えていたが、それは完全な誤算であった。 

3 「エフィー・M・モリッシー号」とバートレット船長

 1925年、アメリカの北極探検家 ボブ・バートレット船長は彼にとって生涯の愛すべき船となるスクーナー船「エフィー・M・モリッシー号」を購入した。この時、バーレット船長は既に著名な北極探検家としての地位を築いており、1909年のロバート・ピアリーの北極遠征時の遠征船船長としても知られていた。また、ヴィリヒャムル・ステファンソン北極探検隊の「カーラック号」遭難(氷に押しつぶされ沈没した。)時には、ほぼ単独で同船の乗組員を救出するなど、伝説的な名声を確固たるものにしていた。彼の北極探検は、1926年から第二次世界大戦勃発までの間に14回にものぼっていた。

バートレット船長(引用:アリゾナ大学
「エフィー・M・モリッシー号」(引用:Schooner Ernestina Commission

4 ルイーズとボブの衝突 〜気の強い女と頑固ジジイの闘い~

 1941年6月11日「エフィー・M・モリッシー号」はワシントンDCを出港した。ボイドはこの航海に大きな期待を寄せていたが、間も無くしてボイドとバートレット船長の対立が表面化する。既に経験豊富な極地探検家であった両者は、それぞれの方法論に固執し衝突を繰り返したのである。また、ボイドが乗員の前で公然と船への不満を口にしたことから、乗員たちの反感を買い、状況はさらに悪化していく。
 「エフィー・M・モリッシー号」の乗員は、バートレット船長と北極海における命懸けの航海を経験して来ており、船長に対しては絶対的な忠誠を誓っていた。そして、船長とボイドの瑣末な争いを引き金にして、次第に船内では、彼女の権威的な振る舞いに反発する空気が広がっていった。一方で、ボイドと共に乗船した科学者グループと通信士は一貫して彼女を支持していた。

ボイドと科学者たち(引用:Marine History Museum

5 グリーンランドでの秘密任務開始

 1941年の夏、北大西洋に戦火が広がるなか「エフィー・M・モリッシー号」はカナダのニューファンドランド島を出港し、グリーンランド西岸へ向かった。この際に米海軍は彼らに対して「今後の行動は全て貴船の自己責任となること。」「不足の事態が発生しても海軍の支援がない可能性があること。」を打電した。

 グリーンランドのフェアウェル岬では嵐に見舞われバートレット船長はありったけの罵詈雑言を繰り出し船の指揮をとった。その後、同船はユリアネホーブ(現在のカコトック)に停泊した。そしてここで米沿岸警備隊のグリーンランド・パトロール船隊と会合する。この船隊は沿岸警備隊「ノースランド(WPG-49)」、同じく「コマンチ(WPG-76)」、同じく「ベアー(USS Bear)」そして、旧沿岸測地測量局(United States Coast and Geodetic Survey)所属の「ボウディン」から構成されており、グリーンランド南部の警備と連合国船舶の護衛を担当していた。

グリーンランドで仮泊する「エフィー・M・モリッシー号」(引用:NARA

 ボイドはここで、パトロール船隊の船長らと、何らかの情報交換を行なったようである。のちにコマンチ船長となるフランク・ミールズ(Frank Meals)は、ボイドの情報提供について感謝状を送っている。またノースランド船長のエドワード "アイスバーグ" スミス(Edward "Iceberg" Smith)は、これをきっかけとして、後々までボイドの親しい友人となった。さらに彼女は、同地に駐屯する陸軍工兵隊のベンジャミン・ジャイルズ(Benjamin Giles)大佐とも接触し、グリーンランドの飛行場の航空写真主要基地の緯度経度磁気偏角などの情報提供をしている。

エドワード "アイスバーグ" スミス船長(引用:Wikipedia

 「エフィー・M・モリッシー号」はグリーンランド沿岸をさらに北上し、イヴィットットに入港した。ここは、アルミニウム精錬に不可欠な氷昌石の鉱山があり、アメリカにとって戦略的に重要な港であった。ボイドはここで、同地を警備している沿岸警備隊「モドック(WPG-46)」船長や鉱山の採掘管理主任などと接触し、情報交換を行なった。

 このようなボイドの秘密任務について、バートレット船長ほか「エフィー・M・モリッシー号」の乗員は一切知らされておらず、これをボイドの単なる社交と捉え強い苛立ちを感じていた。

6 「エフィー・M・モリッシー号」、北極圏に進出する

  その後「エフィー・M・モリッシー号」はアメリカ領事館が新設されたゴットホープ(現在の首都ヌーク)へ向かい、北極圏を超えてトゥーレ(現在のカナーク)に短期間停泊したのち、エタ*に4日間滞在した。そして、ランカスター海峡*を遊弋したのち南下を開始し、現在のカナダのヌナブト準州にあたるポンド・インレットクライド・リバーパンナートゥンガ、に寄港した。その後さらに南下を続け、ホープデールターナヴィック島バトルハーバーを経て、1941年11月3日にワシントンDCに入港し、146日間に及ぶ航海を終了した。

--*(注釈)エタランカスター海峡チョークポイントに当たる部分であり、当時の結氷(気象・海象)状況は不明だが、アメリカはドイツ潜水艦の通峡を警戒していた可能性がある。いずれにしてもボイドの航海日誌は散逸してしまったため、想像の域を脱しない。--

探検中の唯一のカメラマンはボイドであった(引用:NARA

 バートレット船長が著した、「エフィー・M・モリッシー号」の航海日誌は、現在ボウディン大学図書館に所蔵されており、本航海の詳細が色鮮やかに記録されている。しかし、ボイドの記録は大半が散逸してしまっており唯一残っているのがマリン公立図書館(カリフォルニア州サンラファエル)の記録のみである。 

7 探検の終焉・評価

 ボイドが探検から持ち帰った映像、写真、地図、各種データは米国標準局(National Bureau of Standards)の要求を十分に満たすものであった。また、カーネギー研究所の地磁気部門が、彼女の提供したデータによって北極圏における通信障害が解決されたと報告するなど、ボイドの情報はアメリカの様々な公的機関で称賛された。

北極における情報収集成果により陸軍省から表彰されるボイド(引用:Joanna Kafarowski

 その後ボイドは、陸・海軍省傘下の機関で軍事顧問としての役割を担うこととなった。しかしボイドとバートレット船長の関係は修復されることはなく、その後、彼女が「エフィー・M・モリッシー号」を訪問することはなかった。

 ボイドは手記で、「願わくば、私の北極の門が再び開かれ、極地の世界へと通じる道が示されますように。そして、再びグリーンランドへ戻ることができますように。」と述べているように、彼女は再度の北極探検を切望していたが、これが北極探検家としての最後の航海となり、愛するグリーンランドの地を踏む機会は二度と訪れなかった

 ルイーズ・ボイドはその生涯で6回の北極探検を成功させた。

参考資料
Joanna Kafarowski "A Secret Mission in Wartime Greenland" SEA HISTORY : Spring 2024.
・John A. Tilley "Greenland Patrol, World War II" U.S. Coast Guard.
・Herbert W. Briggs "The Validity of the Greenland Agreement" April 12, 2017.

表紙画像(引用:Marin Independent Journal

つづく


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