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東郷提督のアメリカ探訪③ 〜ジョージ・ワシントン初代大統領の墓参〜

1911年8月6日 ワシントンD.C.、マウント・バーノン

 この日の日程は午前中にアメリカ政府アテンドの首都観光を楽しんだのち、バージニア州マウント・バーノンにあるジョージ・ワシントンの農園と墓地を訪れている。そして、午後からは日本大使館主催のレセプションに出席するなど、入国から日々過密なスケジュールをこなしているように思える。
 これは国賓として迎えた東郷提督に対するアメリカ政府の歓迎の現れとも言えるものである。とはいえ、提督はこのとき既に60歳をまわっており、日本海海戦を勝利に導いた武人とはいえ、この旅程は体に堪えたのではなかろうか。

 東郷提督は、アメリカ政府の案内のもと、ワシントン市内の観光を楽しんだ。昨日の公式行事が深夜まで続いたため、今朝は遅くまで休み、11:00にウィラード・ホテルで朝食を終えた。そののち、国務省のヘイル国務次官補とポッツ大尉が送迎にあらわれ、彼らと共に大型自動車でワシントン記念塔、議会図書館、連邦議会議事堂を訪れ、ポトマック川を望むスピードウェイ*を駆け抜けた。
-- * 現在は河川敷沿いの桜並木となっている場所。--

ポトマック川の桜は東郷訪米の翌年に東京から贈られる。

 ホテルに戻るとパナマ帽に夏服姿だった東郷提督は、制服に素早く着替え、急ぎ海軍工廠へ向かった。そこで大統領専用ヨット「メイフラワー号」に乗り込み、ジョージ・ワシントン初代大統領の農園と墓所が残る「マウント・バーノン」へと向かった。「メイフラワー号」では非公式の昼食が提供されたが、提督はほとんどの時間をポトマック川の風景を眺めて過ごした。

大統領専用ヨット「メイフラワー号」
同船はのち、ウエストポイント視察の際にも提督を乗せハドソン川を遡上した。
「メイフラワー号」に乗船する提督一行

 マウント・バーノンに到着後、丘を登りながら、偉大な日本海軍の軍人である東郷提督は、アメリカの英雄「ジョージ・ワシントン」が暮らした家屋や墓について多くの質問をした。そして、ワシントンの墓地へと近づくにつれ、提督の表情は厳粛なものとなり墓前では脱帽、しばし黙祷し花輪を捧げた。

ジョージ・ワシントンが愛した「マウント・バーノン」
(現在は米国定歴史建造物、国家歴史登録財に指定)
マウント・バーノンに到着した提督一行
ジョージ・ワシントン墓地前での記念撮影

 そののち、一行はゆっくりとワシントンの邸宅(現在は農園も含む建造物群がアメリカ国定歴史建造物に指定されている。)を見学した。各部屋で東郷元帥は立ち止まりながら、展示されている遺品について詳しく質問をした。ワシントンD.C.への帰路の航海は何事もなく穏やかに進んだ。

「マウント・バーノンの邸宅」前での記念撮影
マウント・バーノンを巡る提督一行

 夜には、ウィラード・ホテルで日本大使主催の晩餐会が開催された。会場はミニチュアの軍艦、日本の花々や「日の丸」が一面に飾られ、「君が代」が演奏された。晩餐会では、二つの乾杯が行われた。一つは日本大使によるもので、大統領とアメリカ国民に向けたもの、もう一つはシャーマン副大統領によるもので、日本国と天皇陛下に捧げられたものであった。

ウィラード・ホテル(現ザ・ウィラード・インターコンチネンタル)
江戸幕府が派遣した万延元年遣米使節もここに宿泊した。

 この晩餐会には、アメリカ政府要人として副大統領、国務長官、下院議長、財務長官、司法長官、農務長官、郵政長官、上院議員のパーキンス(Perkins)氏、ベーコン(Bacon)氏、ルート(Root)氏、海軍次官補のサルツァー(Suizer)氏、フォス(Foss)氏、パジェット(Padgett)氏、ウィークス(Weeks)氏、フォスター(Foster)氏、ラウド(Loud)氏、訟務長官フレデリック・W・レーマン(Frederick W. Lehmann)氏、上院事務総長チャールズ・G・ベネット(Charles G. Bennett)氏

 陸軍から、陸軍参謀総長レナード・ウッド(Leonard Wood)将軍、ジェームズ・アレシャー(James B. Aleshire)将軍、アーサー・マレー(Arthur Murray)将軍、ウィーバー(E. M. Weaver)将軍、バット(Archibald W. Butt)少佐、ミラー(Rainsford S. Miller)少佐

 海軍から、リチャード・ウェインライト(Richard Wainwright)提督、ウィリアム・ポッター(William P. Potter)提督、ジャイルズ・ハーバー(Giles B. Harber)提督、ブリランド(C. E. Vreeland)提督、ニコルソン(R. F. Nicholson)提督、ポッツ(T. M. Potts)海軍大佐、ビーティ(F. E. Beaty)海軍大佐、ギボンズ(J. H. Gibbons)海軍大佐、コスビー(Spencer Cosby)陸軍大佐、ローガン(G. W. Logan)海軍中佐、ミレット(F. D. Millet)海軍中佐、パーマー(L. C. Palmer)海軍少佐、クック(A. B. Cook)海軍中尉

現在のウィラードホテルからの眺望

 そして日本側は主催の埴原駐米大使、海軍武官 平賀中佐、陸軍武官 井上中佐、副官の谷口中佐のほか、川崎重工 松方幸次郎氏など在米邦人の多くが招待された。

 東郷提督には、まだ多くの歓迎行事が控えていた。7日の夜は、ナショナル・プレス・クラブのゲストとして迎えられ、8日夜には陸軍・海軍クラブでのレセプションに出席する予定だ。また、8日の朝は国務次官補ハンティントン・ウィルソン(Francis Mairs Huntington Wilson)氏主催の朝食会に招かれており、これまでのD.Cでの公式行事とは異なり、ウィルソン夫人をはじめとする女性たちも同席することになった。

参考資料
・The New York Timesなど
東郷提督のアメリカ探訪① 〜豪華客船「ルシタニア号 」ニューヨーク入港〜
東郷提督のアメリカ探訪② 〜大統領主催 ホワイトハウス晩餐会/ニューヨークからワシントンD.C.へ〜

つづく
東郷提督のアメリカ探訪④ 〜合衆国海軍兵学校・アナポリス視察〜


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