正しく批判する
どうもこんばんは、だんだん日記がノルマのように感じてきた、note-kunです。
いやいやになったら終わりですね(勝手に終わらすな)
今日もゆるい日記です。
最近、政府批判、とか芸能人やら企業やら何から何まで”批判”が目につくようになった気がします。
何年か前に比べてSNSも活発になったので、なおさらでしょうか。
批判の文化が日本を悪くしているとか、批判自体の批判がなされたりもしていますが、
そもそも批判ってなに?と思ったのでググりました。
goo国語辞書によると以下の三つのようです。
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
本来は1の意味で批評のように適否を判断する、という意味もあるようですが、
最近は2の誤りや欠点を指摘する、という意味で使われているような印象です。
なんなら何も考えずボロクソに叩いて、相手を潰してしまいかねない事象も起こりニュースになったりしていますよね
芸能人の方も、無視できない量の批判に苦悩したり、遠慮なく訴えるという意思表示をしたりしているのを見ました。
これら批判についてすごく思うのが、
”なんのために批判している(誤り・改善点を指摘している)のか”
ということですね・・
なんかカッコつけた感じになっちゃいました。
カッコつけたんですが()
もし仮に、相手のことを真剣に考えて誤りをただそうとしているんだったら、暴力的な(感情に任せた)言い方ばかりではなく、論理的に、時には優しく気持ちに寄り添うような(相手の心境に合わせた)言い方をすべきだと思いますし
ただ対象が嫌いで悪口言いたいだけだったらめちゃくちゃ時間の無駄だと思います。
自分のことにしても他人のことにしても、より良い方向に向くように時間を使って行けたらいいな、と思いました。
やる必要のない暇つぶしのような批判をするぐらいだったら、自分の好きなものや人を見つけて、応援する行動を起こしていきたいです。
そういうこの文章自体が何か意味のない批判になっている気がして、
まさにとんでもないブーメランな気がします。
また、今日もとりとめのない文章になってしまいました。
名前、とりとめなさ男にしましょうかね(センス×)
僕の頭の中も凝り固まっている気がするので、ぼちぼち寝ます。。