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○山口代表ぶら下がり(細田前衆院議長の死去を受けて) 2023年11月10日(金)16時~ @参院第29控室 

Q、細田前衆院議長が死去した。受け止めを。

山口)細田前衆院議長の訃報に接し、大変驚くとともに、深く悲しみに堪えないところだ。哀悼の意を心から表したい。

 細田前議長と私は当選が同期で、1990年2月の衆院選で初当選した。共に政治生活を同時代人として過ごしてきたという強い思いがある。特に自公連立政権発足後、官房長官をされ、自民党の幹事長も務められた。自公連立政権をより強固なものにしていく過程で、大きな役割を果たしていただいたと感謝している。

 特に幹事長時代、日中の関係で、中国側の中連部の皆さんが日本に来られた時に、一緒に歓迎の諸行事を両党の責任者同士で遂行したこともあった。大変、丁寧に中国側の方々が喜んでいただけるような配慮の行き届いた対応をさせていただいた。これは細田氏の人柄の表れだと思った。また、議員連盟の会長を多く務めていた。衆院議長の場合は、兼務が可能で、議長在任中も、こうした行事に精力的に参加されていた。特に、日本インド友好議員連盟の会長の立場で、何度も諸行事にご一緒させていただくことがあった。大使が代わった時の会を催したり、インドの在日の商工会議所の会合に出席したり、大変、深い関係を持っておられたことを思い起こされる。こうした余人を持って代えがたい役割を担ってきたことに対しても、深く敬意を表したい。

 最大の印象深いことは、当選同期の、あの時代、政治改革が叫ばれた。特に選挙制度の改革が議論になった時に、細田氏は、世界のさまざまな選挙制度に通じる見識の高い方だった。わが党の井上義久前衆院議員も、われわれと当選同期であるが、あの時代に、公明党を代表して井上義久、自民党を代表して細田博之の両名が議論をしっかりとリードしていたことを思い起こす。

 こうした細田氏の功績をしのびつつ、心からご冥福をお祈り申し上げたい。


Q、週刊誌でセクハラ疑惑や、旧統一教会との関係が報じられた。13日の会見では、あいまいな説明が指摘されたが。

山口)そこはご本人でないと分からないところもあると思うし、ご本人として、それなりの説明はされてきた経過があったと思う。

 この夏場から体調を崩されて、大変苦しそうな状況であったことは私も存じ上げていた。特に、平和記念式典や8月15日の戦没者の慰霊・追悼式典にも欠席された。やはり体調が思わしくないということで、副議長に任せた。また、執念を持って臨んでいたのが、G7議長会議だ。議長国・日本の衆院議長として、関係国の議長を束ねて、その会議を主催することに執念を持っていたが、それもかなわなかった。そうした体調の苦境の中で、大変もがいていらっしゃったのではないか。苦しい状況にあったのではないかと、お察し申し上げる。その点でも、大変気の毒な思いを感じるところだ。

 ご本人にまつわることが明確になりきらなかったと捉える方もいると思うが、私は、その苦しい体調の中での、もがきというものに思いをいたしたい。


Q、訃報はどのタイミングで知ったのか。

山口)昼ごろ、報道で知った。床屋で散髪している時のラジオの報道で知った。びっくりした。


Q、細田前議長は、現職の議長の時に求められた記者会見はできなかった。教訓とすべきことは。

山口)本人に確かめるすべもないので、私からはその点について、何か申し上げることはない。


≪山口代表の訪中報道≫

Q、一部報道で、代表が今月22、23日に中国を訪問することで最終調整しているとあるが、現在の調整状況は。

山口)8月に訪中の予定をし、直前でそれが中国側から中止の知らせをいただいた。引き続き、その機会を模索していきましょうという合意があった。今も、そういう点では高い関心をもって臨んでいるところだ。今、具体的に何かを申し上げられる状況ではないが、引き続き中国の側と意思疎通を図りながら、高い関心をもって臨んでいきたい。実現できればそれに越したことはないと思っている。


Q、日中両政府は、APECに合わせて、首脳会談を模索している。訪中が実現した場合には、日中関係に与える意義、影響は。

山口)われわれのことはともかく、日中首脳会談がAPECの機会に実現できるように調整がなされているのは報道で承知している。首脳会談が決まった報告は受けていない。そうした中での調整中なので、きのうは秋葉局長が訪中されて、王毅外相とも話をしたということである。それが、日中首脳会談が実現できることに結びつくことを期待したい。


以上

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