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銭湯のおっちゃんとビール
駅近くの公衆浴場は、ひどく傷んでいた。駐車場には浴場客以外の自転車が無造作に並んでいて、それを咎める看板は大きく傾き、緑の蔦が外殻を覆い尽くす。そして深い青色の暖簾の前では、番台のおっちゃんが素知らぬ顔で煙を燻らしながらビールで顔を赤くする。
昔は脱衣所が煙でモクモクだった事を想うと、このおっちゃんも少しは時代の変化に付いて行く気があったように思えるが、相変わらずいつでも耳まで赤い。
おっちゃんは人生のうちなんぼほど顔が赤い時間があるんかな、シラフのおっちゃん見た事ないなと毎度思う。
暖簾をくぐると大きな下駄箱があるが、大半の札は歴史の中ですでにどこかに旅立っており相当数が少ない。下駄箱の前には、しまって貰えていない履き物達が行儀良く並んでいて小気味の良さを感じさせる。小さな靴が2組あれば、あの近所の兄弟が来ているなと思いながら88番の札をとり自分のスリッパは下駄箱へ。というのも、下駄箱の前にスリッパを忍ばせておいたいつかの湯上がりに、裸足で自転車のペダルを漕だことがある。あの寒空にキンキンに冷えたペダルを踏み締めた足裏の気持ちを考えると居ても立っても居られなくなり、札を手に取るのだ。番号に深い意味はなく、なんかええやん、というくらいのもの。
「こんばんはー、サウナもお願いしますー」と口を動かしながら、端数を揃えて番台にお金を出し、その日のおっちゃんの調子を探る。
「タオル持っていきやー」の声が聞こえれば、釣り銭のジャラジャラ音の入り混じった賑やかな番台になるのだが、
大半は「おっちゃんわからへんのやあ、なんぼ渡したらええ?」といった具合。
それも夕飯がハンバーグだった子供みたいな笑顔で。ただ、真っ赤。
「今日は1人か?」とか、「父ちゃん先に中おるで」といった、かれこれ20年の僕とおっちゃんならではの会話を挟んだりもする。
釣り銭の計算ができないなんてことは慣れっこなので、ゆっくり釣り銭を伝えると、おぼつかない様子で小銭を並べてくれるので、それを待ちながらタオルを棚から手にとり、小銭をしまう。
浴室から一番近くの空いているところに荷物を入れて、番台の前にある背の高い物置の一番上にある銭湯セットを取り出して浴室に。いつも銭湯セットが盗まれていないかビクビクするも、最後に受け取りにいくまでそこにあった。
おっちゃんはいつも小上がりの番台に座り、小さなテレビを眺めながら小さいビールを飲んでいる。たまに立ち上がっている時もあるが、そばには銀色の小さいのがある。
だから最後に銭湯にいった時には、大きいビールを何本か持っていった。
あすもやすみ。