きっちゃんのつぶやき「雑感“しつけの三原則”」
教育者であり、哲学者でもある森信三先生はしつけの三原則として、次の3つを言われています。
①あいさつは自分から先にする(前向き、積極性、親近性)
②名前を呼ばれたら「ハイ」と返事をする(対応・交流、呼応性)
③はき物をそろえる、椅子は入れる(自主性、自立性)
こんな簡単なことでいいのかと思いますが、森信三先生によれば、この3つが人間の生き方の基本であり、この3つが身に付いたら、あとのしつけが出来るようになるということです。
あいさつは、相手の存在を認め、大切にしていく。さらに進んで敬愛の心の表現ということです。また、“自分から”というのも、大切なポイントです。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の格言どおりです。
次に「ハイ」と返事のできることですが、普段の生活で使う「はい」の返事には、共感する意味で使ったり、理解、納得、自覚を表現する場合に言ったり、指示や命令などを承諾し、確認する時に伝えたりするために使います。またハイは「拝」ということであり、あいさつが能動的なものに対して、ハイは受動的なものであると言います。
はきものを揃えるというのは、「心も揃う」ということ。また、机の下に椅子を収めるというのは、「締まり・後始末をつける」ということではないかと思います。自分で自分を律するという点で、自制力と自律性を意味します。
森信三先生は、足元の乱れは心の乱れの証拠であり、心の乱れは財布の口の開け広げにつながるので、はきものを揃える、机の下に椅子を収めるは、経済の締まりにもつながると言っています。
このようにして、一つ一つのしつけをみていきますと、結局は「けじめをつける」ということなのではないかと思います。つまり、あいさつをするのは、人間関係の始まりをきちんとすることであり、「ハイ」と返事することは相手の気持ちをきちんと受け止めることであり、はきものと椅子は自分の動作の終わりをきちんと整えるということであるように思います。そういう意味で、森信三先生は、けじめをつけられる人というのが、しつけが出来ている人と考えたのではないでしょうか。
「しつけ」という漢字「躾」は、「身が美しい」と書きますね。この漢字は、中国にはないのだそうです。「身が美しい」と書いて「しつけ」と読ませるというのは、日本人の発明なのです。日本人の感性に、思わず拍手です。
「しつけ」ということばの起こりは、洋裁でも和裁でも仮縫いをする時、細い糸で型を整えます。この糸のことを「しつけ糸」と言います。「しつけ糸」は着物や洋服の大事な部分の総てにかけます。これがいい加減だと型が崩れます。また、「しつけ糸」に太くて丈夫な糸を使うと出来上がった時、布地に穴が空いてしまって良い製品にならないそうです。細い糸でまんべんなくかけることが大切です。そして、製品が出来上がった時に「しつけ糸」は取ってしまいます。いつまでも製品にへばりついているわけではありません。
学校や家庭での「躾」も、この「しつけ糸」と同じではないでしょうか。乳幼児期から今まで、保護者の方があらゆる場面の一つ一つ丁寧に、また気を配って「しつけ糸」をかけてこられました。そして、徐々に人間として型を整えつつあります。この「しつけ糸」をはずすのは、はずしても型が崩れる心配が無くなったときです。しつけ糸をはずすことは、いうまでもなく、子どもを本人の自律にゆだねることです。しつけとは、もともと自律に向けてのしつけなのです。「しつけ糸」は、子どもが自律するまでの手助けにすぎません。
子どもたちが私たち大人の手を離れる時、自分の力で、正しく生きていくための下地を作ってやるのが我々の務めだと思います。