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安定企業を辞めてリトアニア大学院進学は大正解だった。心に刻む3つのこと

安定した企業を退職してリトアニア留学前に
初めてNOTEを書いたのは1年6ヶ月前

あれから留学中の出来事を35記事書き
自分の思考を内省化する良い機会になった。

そして、無事にリトアニア大学院を卒業出来た。
安定企業での給与や社会的ステータスを捨て
不安を抱きながら
それでも自分の決めた決断を信じてリトアニアに降り立った。

結果的に、さまざまな偶然が重なった
リトアニア留学は、最高の決断をしたと確信した。

リトアニアという国、人、文化を大好きになった。

ここでの様々な出会いと素敵な機会に恵まれて
感謝の一言では足りないほど、有り難さを感じた時間だった。
日本でドン底だった自分を受け入れていただき
本当にリトアニアには感謝の気持ちで溢れている。

同時にリトアニア留学は
私の個性が際立った。
難民包摂の研究•実務、サウナ探究、柔道を通じて
私自身の色をはっきりと描くコトができた。

修士課程では、多国籍なクラスメイト達と
分野横断的に幅広い領域を学んだ。
大学院授業開始時は英語に苦戦しながらも
勉強量と創意工夫、教授陣の懐に入り込み
有難いことに好成績(10段階評価で9.2)で社会科学修士課程を修了した。

実務において、リトアニアとラトビアのNGOでのインターンを通じて、難民の生計向上という文脈で国際協力における有意義な経験を積んだ。

しかし、リトアニア留学前の数年間は
ほんとうに本当にしんどい日々が続いていた。

仕事では自分の能力不足で不甲斐なさに絶望し
働きながらの英語のIELTS対策では
目標スコアがいつまでも取れなく、悔しさを噛み締める日々。
さらには、プライベートも過渡期を迎えた。

3方向からの圧力は、確実に20代の自分史上で最もチャレンジングな期間だった。
ストレスで体重は激減し、片頭痛に悩まされた。

今振り返ると、頭痛薬を飲みながら這いつくばって仕事と英語の勉強に取り組み、まともな状態では無かった。
本当にサウナが無かったら、倒れていただろう。

2022年、仕事で大きな成果を残しながら、休日全て返上して勉強したIELTSは、目標スコアが取れなく
“もぅダメかもしれない。このまま会社で働くか”
と思っていたところで見つけた
リトアニアの最も権威があるビリニュス大学大学院

英語のスコアと必要要件は満たしているし
学費や物価も手持ちの貯金でカバー出来ると分かり
すぐに応募し、幸いな事に合格出来た。

リトアニア留学中に最も聞かれた質問
“なぜリトアニアの大学院?”

就活の面接ではこの質問に
“難民受け入れが盛んな国で実務を経験しながら学びを深めたかったです”
と受けの良い答えを用意した。

初めて出逢った人には
“サウナに入りながら勉強したかった”
と面白い答えを準備してた。

でも実際は、そんなカッコ良くも面白い理由でも無かった。

ここしか行けるところが無かった。
それに尽きる。

ちなみに数年間の大学院応募は惨敗だった。

2020年コスタリカの大学院落ちる
2021年イスラエルの大学院英語力不足で応募失敗
2022年フィンランドの大学院同様に応募失敗

恥ずかしくて、情けなくて仕方が無かった。

そんな時に拾われたリトアニアの大学院

捨てる神有れば、拾う神有りとはまさにこのこと。

しかし、これも一筋縄にいかなく
元々はソーシャルワーク専攻で合格していたが、合格後の渡航2ヶ月前に専攻学科が開講されない旨の通知がきて、机から転げ落ちそうになった。

代替案で提案された社会科学修士課程、国際コミュニケーション学科を渋々受諾した。

そんな紆余曲折と偶然が重なった
リトアニア留学

結果としては、満足度120%の留学だった!

学科変更も結果的には素晴らしい出会いと沢山のチャンスをもたらしてくれた。

日本で心身ボロボロになったあの時間は
リトアニア留学のための壮大な伏線だったのではないかとさえ思う。

大学院やインターン先では民間企業で培ったイニシアチブを取れる事や様々なタスクを整理してコンセンサスを取ることが非常に役立った。

民間企業で数十億の受注活動を通じて
口酸っぱく指導されたことにより
条件反射レベルで出来るようになった行動が
留学生活の随所で活きた。

また、当初より2年留学を遅れたことで、
留学中の学びへ貪欲さが光った。

勉強したくても出来なかったあの日々があったからこそ、学べることの有り難みを心から噛み締めて過ごした事で、圧倒的な成績に繋がったと思う。

さらには、留学生への新入生歓迎セレモニーでたまたま見つけた大学のJudo & Sambo team

まさか10年振りに柔道着に袖を通して
授業料減額のために5kg減量と肩の脱臼に直面しながらバルト諸国学生柔道大会で優勝するとは
留学前の想像の斜め上の経験だった。

柔道のお陰で自分のアイデンティティーを見つめ直すきっかけになったり、とても素敵な出会いもあった。
さらに、柔道の練習は、就活と大学院の勉強で溜まったストレスを発散するのに大いに役立った。これも10年越しの伏線回収なのかもしれない。

私を表現するときに欠かせない事の1つとして
サウナのあくなき探究もリトアニア留学を通じて挑戦することが出来た。
リトアニアサウナマスターからの直接指導いただいたことでウィスキング文化のイロハを深く学んだ。

難民問題、サウナ探究、柔道
この過去の一つ一つの経験(ピース)が繋がり
パズルのピースがかっちりとハマった感覚だ。

そして、リトアニア留学での出来事の数々も
私の今後の偶発的なパズルのピースになるのかもしれない。

ここまで振り返った中で
読んでいただいている方へ
そして未来の自分へ伝えたいことが3つ。

1つ目は、苦しかったことや失敗の数々は、
未来への伏線回収の経験になり得ること。 

大学院進学に苦労していなかったら
リトアニアに辿り着くことも無かったし
民間企業で成果を出せるまで経験を積めなかったと思うと、困難な経験も無駄では無かった。
大変な経験は、ただ辛かった記憶で終わるのではなく、未来の出来事の大切な伏線になり得る。

そのためには、ここぞっと言う時には
失敗したとしても最後の1%まで全力で取り組むコトが大事だと留学を通じて痛切に学んだ。

私の次の舞台であるガーナでも
沢山行動して、失敗を重ねて
伏線回収の種を蒔いていきたい。

2つ目は、現状を変えるためには何かを手放すこと。
私の場合は安定した身分と人間関係の一部を絶った事で、リトアニアでは素晴らしい経験を積むコトが出来た。

満杯なコップには新たな水は入らない。
だから、現状を変えたければ
何かを捨てる勇気が必要なのかと思う。

一度手に入れたモノほど手放すのに躊躇する。
会社を辞めて大学院に進学する際
やはり不安が大きかった。
安定したお給料、豊富な賞与、破格の会社寮の存在は、失うことの恐怖へと繋がった。

しかし、それらを全て捨てたからこそ
リトアニアで充実した時間と
今後のキャリアへ向かう助走期間になった。

捨てるためには、勇気が必要だ。
その勇気を持つためには
自己と向き合う中で自分の未来を信じてみること。

苦しくても信じる先に誰かが導いてくれる。

何か見えない縁でリトアニアに導かれて
拾ってくれた国で大変充実した時間を過ごした。
リトアニアは、人生の恩人と言っても過言ではない。この国での出逢いや機会に救われた。

3つ目は、「Toast for Change/ 変化への乾杯」

この言葉は、リトアニアの親しい友人から薦められた実話をもとに制作された映画『フリーダム・ライターズ』にて、米国の教師エリン・グルーウェルは壮絶な家庭環境に直面する生徒たちに対して、過去の困難や限界を乗り越え、未来に向けて新たな決意を表明するよう促し、背中を後押しするために発した言葉だ。

生徒たちがグラスを掲げ、それぞれの言葉で「もう過去の自分には戻らない」「将来はこうなりたい」という想いを宣言する。この行動は、彼ら自身が人生を変えたいという強い意志を示している。

そのシーンを視聴したとき、リトアニア留学前後を思い出した。
やはり、変化することは怖い。
リトアニア留学が充実していたため、
日本へ一時帰国は楽しみもある一方で怖さもある。
ガーナへの赴任もワクワク感だけではなく
恐怖もある。

これは、人間に備わる自己保存、現状維持を好む本能的な機能であるため、自然なことだ。

さらに、年齢を重なるにつれて、社会的立場が重くなるにつれて、この本能は強くなる。

しかし、変化への恐怖を恐れずに
いつだって変化に対して乾杯の姿勢こそ
大切なのだと学んだ。

以上、3つを心のノートに刻み
リトアニアでの全ての出逢いと経験に
心から感謝しつつ、次のステップへ進む。

最後に出国直前にリトアニア人のとても影響を受けた友人から渡された手紙を記してこのNote を締めたい。

I wish you to take notes of every moment you cherish in your journey to never forget the good and the light that comes with life.
Look for what’s next.
With Love,
あなたが旅の中で大切に思うすべての瞬間を記録し、人生に伴う善と光を決して忘れないでほしいと願っています。次に来るものを楽しみにしています。

これからもnote で感じたことを記録し続けたい。

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