ぼくはまだ弱い人間のまま
ぼくの人生の目標の一つは、「イケおじ」になることです!!
(唐突になんだ)
目標はこの人!!と思えるような素敵な大人は大概「イケおじ」です。
なのでぼくはイケおじを目指しています。
イケおじの要素は様々あると思うけれど、一つに「人に愛情深い」というポイントがありそう。
そんなことを踏まえて、今日はぼくが自分に対して失望した話をしたいのです。
見なくても良い内容だけど、見たら0,5%くらいの僕を知れます。笑
ぼくのぼくに対する失望
今日ぼくは、人に悪口を言ってしまいました。
その人は、ぼくとの関係性があまり近くない人です。
なので、言ってもバレることはまずありませんが、その後のぼくの心がショックを受けております。
放っておくわけにはいきません。
なぜぼくが自分に失望したのか。
それはぼくに、人を痛ぶるような、快楽に近い気持ちが生まれていたから。
要はイジメにおけるいじめる側の気持ちのような感情。
それは、ぼくが大切にしたいことから一番遠くにある人間性です。
子供の頃も同じ
ぼくは、人から嫌われる事が怖いです。
三人兄弟の末っ子に生まれ、たっぷり愛情を注がれて育ったぼくにとって、学校という社会で周囲から嫌われることは一番の恐怖でした。
学校では、いじめがありました。
ぼくは基本的に中立。直接だれかを攻撃することも、攻撃もあまりされませんでした。
ただ、ぼくがやっていたことは、
直接攻撃をする人が、裏で悪口を言う場に一緒にいたり、悪口を言ったりしていたこと。
攻撃されているその誰かよりも、少しだけ優位な立場になれることに気持ち良さを感じていた気がします。
ぼくは大人になって、たくさんの人に会って、大切な価値観をたくさん知って、憧れる大人をたくさん知っている、はずだった。
でもぼくは子供のころと同じように、今日人を悪く言ってしまった。そしてそれに少しの気持ち良さを感じてしまっていた。
ほどなくして、ぼくは自分に愕然とした。失望してしまったのです。
今の環境でのぼくは、人から攻撃もされないし、貶められることも、不条理に嫌われることもない。
そんなぼくがなぜ楽しい気持ちで、人の悪い部分を話せるんだろう?話す必要があったのだろう。
いつ、ぼくは人を大切にする事ができるのだろう。
と言うのが今日の弱いぼく。26歳。
成長したと思っていたけど、まだまだ小さい頃のぼくです。
「こんなぼくではダメだ!!!!」と帰り道の車で強く誓った夜。
悲劇の悪人は、どうして生まれるのか?
「ジョーカー」と言う映画を見たことがありますか?
実は昨日、ちょうど見ていて。
主人公のアーサーは、貧困の家庭で生まれた人。
仕事もうまくいかず、街の若者にはぼったくりに遭いボコボコにされ、母親との信頼関係が壊れていく。
全てに絶望して、彼が存在意義を見出したのが様々な悪事だった。
彼が冒頭言った言葉。
「おかしいのは俺か?それとも社会か?」
彼は母親想いの心優しい、コメディアンを夢見る男だった。
そんな彼を追い詰めて行ったのは、たぶん彼を取り巻く社会だったんじゃないかな。
ぼくの今日の出来事でリンクしたのは、
ぼくはいつでも人を傷つけている可能性がある、と言うこと。
映画の中の、アーサーを痛めつけて笑いながらぼったくりするような最低な若者たち。
やっていることは全く違うけど、アーサーが感じたやるせ無さや悲しさは、ぼくも人に与えうると思う。
今のぼくは、ジョーカーのような、とまでは到底言わないけれど、誰かを追い詰めてしまっている環境の一助になってはいないか。
きっかけを作りたい
差別を無くしたい
コミュニティを作りたい
場の空気感を作るのが得意である
今のぼくでは、まだまだだな。
弱いぼくを、しばらく見つめ直してみる。