映画であること、その音楽の所在――『夜想』音楽制作メイキング第2弾
『Mothers マザーズ』は5人の脚本家が集まり、それぞれが「母」をテーマとした20分の短編映画をつづるオムニバス映画です。脚本家・高橋郁子さんもこの映画に参加し、『夜想』と題した作品を制作しています。
『Mothers マザーズ』と『夜想』についての詳細は以下の記事をご覧ください。
今回は『夜想』音楽制作メイキングの第2弾をお送りします。
脚本家・高橋郁子さんが率いるidenshi195ではこれまで朗読劇の公演を行ってきました。
今回の『夜想』でも表現形態は映画でありつつもこれまで朗読劇で行ってきたことを大切にしています。
その意味するところは「音の表現が重要視される」ということ。
SADAさんと郁子さんの話し合いのなかで特に興味深かったのは「無音」部分の解釈でした。
皆さんは映画を見ていて「無音になる場面」というとどのようなものを想像するでしょうか。
「衝撃的なものが目に入る場面」、「シーンが変わるところ」――おおよそこういったところだと思います。
しかし、よくよく思い出してほしいのです。
その無音ってなんのためにあるんですか?
そうなんです。
実は無音って、視覚に集中させるための手法なんです。
「無音部分があると、夢から覚めてしまうような感覚がある」
打ち合わせで郁子さんから出たこの言葉が、自分には目から鱗でした。
「トータル約20分の1曲を奏でるイメージ」と制作中に何度も聞いてはいましたが、実際の音楽制作の場面になるとこういった形で表現されるのだな、と。
「演奏」において、無音はあったとしても休止符に過ぎない。
ゆえに、『夜想』においても無音は休止符である。なぜなら『夜想』は「音」を表現する映画だから。
シーンを変えるのは言葉の力。
音楽もそれに追従する形で変わります。
最終的にOKの出たSADAさんの音楽はたしかに「約20分で奏でた1曲」でした。
山あり谷あり高みをめざして駆け上っていきます。
それは俳優の台詞も込みで奏でるオーケストラなのです。