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民族心理学的にテキスタイルを紐解こうとすること

 ウィルヘルム・マキシミリアン・ヴントは、実験生理学の影響を受けながら、1800年代後半、それまで哲学者が専門的に思考する分野であった「心理」というものを、世界ではじめて実験的に捉え、観察・分析を通してその「心理」の要素と構成の法則を明らかにしようとした人物である。1875年にライプチヒ大学の物置小屋を改装するかたちで作られた心理実験室の発明をもって、実験心理学の父とされ、心理学史の多くが、この年を「新しい学問としての心理学の誕生の年」としている。もちろん、エビングハウスが1908年に述べた「心理学の過去は長いが、歴史は短い」という言葉に表され、哲学分野がその認識を担当してきた歴史があるように、心理という概念自体がヴントによってもたらされたものではなく、古くは前384年から前322年までを生きたアリストテレスの著書「心とは何か」(プシュケ=魂=心)に遡ることは妥当である。
 実験生理学からの影響もあり、人の意識は単純な要素の集まりから成り、観察や測定といった実験によって、化合物のように記述できるはずだ、としたヴントのひらめきは当時確信的であっただろう。しかし、そうした構成心理学的な立場はヴントの弟子たち自身に次々と反証された、なんだかもの悲しい側面も併せ持つ。しかしその反証をベースとして、現在までつながる応用心理学、児童心理学、知能検査などが生み出されていくことを考えると、まさに父という表現にふさわしい感慨がある。
 
 1900年、68歳のヴントは、「民族心理学」を手がける。
 それまで構成心理学的の立場から、実験と分析によって心理の「要素」を見続けたヴントは、この「民族心理学」でその「要素」の統合や発生原因の考察に取りかかる。心理学的発達はその人が暮らす文化によっても決定づけられている、と延べ、個々人の心理に深く影響する「文化的産物」に対する調査を、言語や芸術、神話や習慣といった要素をひもときながら記述する。
 ヴントは人の時代を、原始、トーテム、英雄、人類、とよっつに大別する。現在は「人類期」にあたり、それぞれの時代区分の根拠として、集団の規模と、集団の規模を心理的に捉える精神の進化の過程にあてている。
 民族全体を心理学として捉える視点は、「野性の思考」の理解にも援用され得るし、ロゴセラピーにおける「意味の喪失」が「伝統の消失」から来るという理論への理解にも重要であると思われる。
 なによりテキスタイルの現状を正しく推察するためには(理解するためには、というような大それたことは適わない)、トーテム期に存在価値として高まり、英雄期には擬人化された神のごとく、塩と阿片、労働力に匹敵するほどの支配性を持ち、そして人類期においては、もはや世界の持続可能性を脅かす存在まで到達していく歴史的過程を、この「民族心理学」に照らし合わせながら考えていくことは有用そうに感じられる。

 社会のあらゆる面で、構造主義的な者の捉え方の限界やほころびが散見されてくる。そうした意味では、ヴントの構造心理学的、要素主義的な主張が、長く居座らず、彼自身の弟子たちによって刷新されていった物語は、ヴント自身の柔軟さや優しさを想起させる。
 そうした想像を持って、民族心理学的テキスタイルの変遷をひもといていく作業は、現代のテキスタイル世界の端々に少しずつあらわれつつある泡沫的だが、しかし萌芽にもなり得る価値に目を向けていくことにもなるだろうと期待している。

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