こんにちは 運営委員長です。
第1号新聞を手に取って読んでいただきありがとうございます。 この文章を目にしている貴方は、胡散臭いと思いながらも配られた新聞を手に取り、第一面を眺め、そして、ページを開いて、まさにこの活字が室内の蛍光灯の光を反射して、いや、正確には背景の紙が反射している光子を背景に浮かび上がっている文字パターンを網膜に受け、視覚信号として脳内のシナプス結合を原子や電子が通過する過程で増幅され、言語を理解する脳の部位で言葉として翻訳され、記憶された知識と結びついて、貴方の意識に認識されたわけで、まさにこの時空連続体のなかで我々が知る最も精巧な創造物である人間の脳の驚異の仕組みと言えましょう。
私は必然と考えますが、何十億年にも渡る生命の進化により地球上に人間が誕生し、自分たちの活動の一部をコンピュータと呼ばれる機械に代行させるためにソフトウェアを作り、やがてSPIと呼ばれるソフトウェアの開発プロセスの改善活動を実践し、どこに行き着くのかは分かりませんが、こうして人類史の一角を構成しているわけです。 極東の島国の日本で昭和と呼んでいた時代に、戦争を経てアメリカなどで最初は軍事用として開発され、民間産業用にも使われるようになったコンピュータは、半導体技術の急速な進歩に支えられて、最初は、汎用の大型計算機として、米国IBM社や、日本の富士通、日立などで、昭和末期に最初のピークを迎えます。私事ですが、このコラムの筆者も正にこの時期に日立の汎用コンピュータ用論理LSIの開発に加わり、正月の最初の出勤日には、日立のコンピュータ工場の寒いグラウンドに整列して、出荷される汎用コンピュータを積載したトラックの列が工場から出発する姿を見送ったものです。
その後、平成を迎えるとコンピュータはダウンサイジングされ、汎用大型計算機から、ワークステーション、パソコンへと小型化と高性能化が進み、スマホが生まれます。同時に、自動車や家電品をはじめとするあらゆる機器にLSIチップが搭載され、組み込みソフトウェアの開発量が飛躍的に増大しました。また、インターネットも平成を通じて急速に普及し、平成末期にはあらゆる機器やセンサーがネットワークに繋がるIoTの時代を迎えました。
このような背景の中、ソフトウェアの開発ライフサイクルも、ウォーターフォールだけでなく、インクリメンタル、スパイラル、アジャイルなど、多様化を迎えています。また、米国国防総省のソフトウェア品質向上の要請にカーネギーメロン大学が応える形で開発された、能力度・成熟度に着目したモデルに基づく開発プロセスの改善手法であるCMMも、この時期に、SW―CMMとして始まり、CMMIへと進化を遂げました。我々、日本SPIコンソーシアムも、正にこのような時代背景のもと、CMMIの日本への導入促進などを契機として、企業や組織の壁を越えて、ソフトウェア技術者が協力して、開発プロセスの改善に取り組む目的で、2000年に設立されました。
設立こそ平成ですが、参加メンバーは当然昭和に生まれ育ち、中にはソフトウェア開発者として汎用コンピュータ向けソフトウェアをウォーターフォールで開発して来た技術者が多く含まれていたと思います。その意味では、当時はCMMIを比較的導入し易かったと言えるかもしれません。とにかく、ハードウェア開発に習い、ソフトウェアも工業製品として工程をきっちりと区切って、品質に着目しながら開発していた、そういう時代だったと思います。雑談で始まったこのコラムですが、次回は、平成の日本SPIコンソーシアムの活動を振り返ってみたいと思います。