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カルチャースクールは良いぞ!
27歳無職の暇真(いとま)です。
組織に属さず、アパートに引きこもってばかりいるとメンタルに悪いので、刺しゅうのカルチャースクールに通っている。カルチャースクールを利用するのは、主に還暦を過ぎたマダムたち。だから私はちょっぴり浮いてるかもしれない。でもまあ良い。ってか、むしろそこが良い。
年齢が違うと、ライフステージごと違うから
仕事の話も恋の話もしない。するのは「カメムシの捕まえ方」とか「窓拭き業者の価格帯」の話だ。とても平和。同じライフステージの人たちと話すと、圧倒的に自分の人生が遅れている事を実感して「やばいよぉ…私は何やってるんだー!」という気持ちになってしまうのだけど、ここではそういうのが一切無いから居心地が良い。
それに、マダムたちは褒めてくれる。
私は特におもしろい話もできないし、引きこもりはじめてからは気の利いた合いの手も出てこなくなったので「ハハハ〜ッ」と笑って頷くのが精一杯だ。
それなのに「若い人がいると良いわ〜」「やっぱり華やぐわね〜」と言ってくれる。そうか、私はまだ若いか。私がいると良い感じなのか。そうかそうか。と、むくむく自己肯定感が満たされる。それって、引きこもり無職にはとても貴重な機会なんだよなぁ。
うちのカルチャースクールでは、全員が同じものをつくるんじゃなく、各々勝手につくりたいものを作る。だから、私が上手くいかなくても誰も困らない。そこも良い。刺しゅう歴だってみんなバラバラ。実力に差があって当然。そういう空気感がすごく好きだ。
ときどき上手くいかなくて、裏の方で糸がゴチャッとなる事もあるけど、大丈夫。「全然ほどけないから、切っちゃいました!ヘヘッ!」と言うと「あらま〜」って笑ってくれる。
前まではお互いちょっと遠慮があったので、「すみません、糸が絡まっちゃって…」「あ、大丈夫よ〜、難しいわよね〜」くらいの距離感だったんだけど、徐々に私のポンコツぶりを理解して、笑ってくれるようになったのが個人的にはとても嬉しい。このまま不出来な下っ端として扱われたい。私はそういうポジションが一番居心地良いし、好きなのだ。
嘆かわしいのは、月に2回しかスクールが無いことくらいだろうか。他人と一緒の空間にいること、雑談して笑えること、何らかの作業に勤しむこと、そういうのって、人間らしい生活のために欠かせないことなんだ。じゃあ働けって感じだけど(笑)それが難しいから無職なわけで。
だから、社会との接点としてカルチャースクールはとっても有難い。私は来年の春には再就職するつもりだけど、定年を迎えたら、またこういう場所に参加したいな。
カルチャースクールや地域のサークルで、誰も傷つけない笑いを展開できる人が、本当のコミュ強だと思う。場に笑顔をもたらす人。今の私は程遠いけど、いつかそういう人になりたいな。
— 暇真▷文学フリマ東京P-36 (@note_itoma) November 17, 2024
2024/11/17_無職日誌(63日目)
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