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依存より強く



いろいろな面で完璧主義である私は、人前で弱音を吐いたり馬鹿なことをしたりできない。それが夫や友達や親など身近な人であっても。

お酒をのむことによって、人間らしくなれる。

弱音吐いたり馬鹿なことをしたり思っていることを言ったり失敗しても仕方ないと思えたりできる。


要するに言い訳しているけど、アルコールに依存しているということだ。

ただ私はお酒に強く、やらかしてしまったことも殆どなく、四六時中飲まなければいられないというわけでもなく、健康診断で異常もない。

休肝日は一日もない。1日に飲む量はウィスキー300ml-700mlくらい。ワインなら2本くらい。日本酒なら7-8合。

泥酔してやらかしてしまったことは、1回お財布落とした、1回友達の家で吐いた、1回スマホの画面を割った、くらい(20年間で。どれも10年以上前、粗悪な安アルコールを飲んでいた頃)。

飲みすぎて眠たくても朝は決まった時間に起きられるし朝ごはんも食べられるし仕事もできる。そしてその夜もお酒をのむ。

これが依存症に当てはまるかわからないけど、たぶん依存症なんだろう。

お酒には人によってとても害があるので安易に勧めたりしないが、私のお酒への愛を書きたい。


この2つで書いたが、私がお酒を好きになった一番の理由は、両親だ。

毎日ふたりが晩酌している姿を見るのが好きだった。私もあんなふうに美味しそうにお酒をのんでみたかった。

今は私と夫で晩酌することも多いが、あの頃の両親の雰囲気は出せないけれど、少し近いものはあるかもしれない。


依存症の定義の中に、生活を犠牲にしてもアルコールを摂取することを優先する、とあったが、まさにこれは当て嵌まる。

私は多少の距離なら歩く。運転免許を持ってないからだ。運転免許を取ろうと思ったことは一度もない。運転免許持ったらお酒をいつでも飲める権利がなくなるのが嫌だ。それなら歩けば良い。

ランチを10年以上食べていない。仕事のお昼時間に美味しいものを食べても一緒にお酒を飲むことができないからだ。美味しいものを食べるときは必ずお酒を合わせたい。いくら素晴らしい食事をしてもお酒がなければ寂しい。なので現在外食へ行ってもお酒を出してもらえない(緊急事態・蔓延地域在住)ので全く外食できなくなってしまった。

働いてお金を稼いでその殆どをお酒に使っている。1年以上前までは週に2回は外で飲んでいた。食事代金の2から3倍は飲酒代だ。若い頃は食事を殆どせずに300円ハイボールなどを浴びるほど飲んでいたが、今は料理をきちんと作ってくれるお店(美味しいお店ということですね)しか行かない。その美味しい料理に合わせたお酒を値段を気にせず頼む。


生活を犠牲にしてもアルコールを優先するというより、アルコールを飲むこと自体が生活になっている。

仕事休みの日は朝ごはんを作る前にお酒を作る。

2-3時間飲んで一応2時間くらい空けたお昼過ぎに筋トレをする。

終わって少ししたら、夜のつまみを作りながらまた飲み始める。

2年位前まではお昼か夕方から飲みに行って帰るのは日が変わってからだった。

今は仕方ないので家で黙々と飲む。

夫と会話をしながら、映画を見ながら、編み物をしながら。

そうやって黙々と飲むのも好きだし、たくさんの友達と飲むのも好きだし、知らない人と飲むのも好きだ。もちろん好きな人と飲むお酒は最高。

お酒のことは味とか作り方とか飲み方とか一緒に飲む人とか合わせる料理とかそれを作る人とか隣に座っている人とか、お酒とお酒のある空間まるごと愛している。

私が「お酒」というときはお酒とともにすごす空間と時間全部のことを指している。


お酒をのむ私は、お酒に敬意をはらっている。お酒を大事にしている。

お酒をのんで人を傷つける人を絶対ゆるさない。大事にのむのでなければのまないでほしい。そういう人がのまなくても私がその分のみます。だからのまないでください。そういう人たちの分も私がお酒を愛していくので。


(全文完全素面で書いております)



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