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代償
毒をもって毒を制す。
癌を小さくするため、散らばった癌細胞を消滅させるため、正常な細胞を攻撃することになっても癌に対抗するためならば仕方ない。抗癌剤が私の血液に身体に注入されていくのをじっと見ていた。
癌になって初めて恐ろしくて震えた。
液体は思ったより早く私の体の中へ入っていった。雫が落ちるのが早い。いっそ今すぐ点滴の針を引き抜いてしまおうか。頭がどんどん冷えていく。手足を冷やしているからだけでなく。私は今恐ろしいものを身体に入れている。取り返しのつかないことをしている。これは人生の中でも取り返しのつかないことのひとつだ。
再発させないため。どこに潜んでいるかもわからない癌細胞を叩くため。
主要な癌は取ってしまったので明確に効いているかもわからない。全く効かないかもしれないし効いているかもしれない。その効果を証明することもできない。
命の方が大事だ。それはわかっている。抗癌剤ができるだけまだましだ。治療できない人もいる。それもわかっている。
私が恐れていることはただひとつ。容姿が変わるのが本当に嫌だ。髪の毛がなくなること。いつかは生えてくるにしても。浮腫や爪、肌のトラブルなども起こり得る。大きな声では言えないが、命の方が少しだけ重いくらいに、容姿が変わるのが嫌だ。
人から褒められる程度には私はおしゃれである。割とプライドも持っている。自分が納得した格好以外では外に出ることはできないし、メイクもネイルもヘアスタイルも完璧にしたいといつも思っている。特に髪には毎月かなりの投資をしている。
抗癌剤をするとき、容姿が変化することに対する不安があればいつでも相談してください、というようなことを言われるのだが、私の気持ちが誰にわかる、同じ病気の人だって私がどれだけ容姿を重んじていたかわかるはずがない、と思う。
誰も見ていないんだから、という人がいるが、私が見ている。私は私のためにおしゃれしているのだ。誰かのためじゃない。
そんな過激派な私だが、基本的に自分を大事にする本能が欠けているのもあって、抗癌剤はやりたくない、と家族に言った。
別に生きてても、何も成さないし、禿げたくないし、やらなくてよくない?
軽くそう言った時の反応が激重だった(当たり前だが)。
親孝行というものが全くできてなかった私は、「産んでもらった命を伸ばす行動をとる」というのは最悪ではあるがこれからでき得る数少ない親孝行のひとつと考えた。
それによって今まで重んじてきたものを犠牲にすることになっても、結局は家族の方が私にとっては大事なものだったということか。
どういう理由であったとしても、抗癌剤治療を受けることは最終的には自分で決めたことだ。
1度目の抗がん剤から13日目、手櫛で大量に抜け落ちる髪の毛を見ていた。それは、際限無く、手応えも無く元から私のものではなかったかのようにはらはらと落ち続けた。
14日目はさらに抜け、15日目にはまだらになったので3センチくらいに自分で切り、後ろは母に切ってもらった。
癌と言われた時も全摘した時も病理結果が出た時も泣かなかったが、この時は一番泣きそうになった(が泣いてない)。
鏡に映る姿を見るのが嫌だ。裸になるのが恐ろしい。
まだらに禿げた頭に、凹んだ大傷のある右胸に、凸凹の腋、去年摘出した筋腫と子宮のためにお腹もまっすぐに裂けている。
醜い。自分が醜いのは耐えられない。ここまでして生きないといけないのか?
痛みは心を無にする。
抗癌剤の副作用に苦しんだおかげで自分の容姿を気にしている時間が減り、この姿に慣れつつさえある。
心の痛みが体の痛みで相殺されている。
決して前向きではないにしろ、人間はそうやって強く生きていく本能があるのだろう。