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『新しい時代』はどんなもんヤ

彗星の如くゲット

 去る2020年12月23日、KinKi Kidsの4年ぶりとなるアルバム、その名も『O album』が発売された。僕もAmazonにて通常版(上の画像)を予約購入した。先行してYouTubeにアップされていたリード曲『彗星の如く』をいち早く手に入れたくて買った。
ここ最近の流行は、具象的・現実的な歌詞のキレイな曲が多い印象で堅苦しく感じていたが、この曲はそれが無く「なんか楽しい」「なんかカッコイイ」と感じる。何というか、「売れるかどうかは二の次でとにかく楽しい音楽を」という聞き手の理解に委ねているような感じがする。最新シングルの『KANZAI BOYA』も、ほぼ同じワードの繰り返しだが、抽象的にジャニー喜多川への感謝やリスペクトが描かれていて、なおかつ湿っぽくならずただノッてるだけでも楽しい曲に仕上がっていた。そしてこの曲である。

愛のかたまり

 KinKi Kidsの曲は恋愛チックなものが多いが、年々そのうちの「恋」の部分が薄まり「愛」にフォーカスしたものが多くなってきた印象がある。というより僕の好みがそっち方面だからかもしれない。特に好きな曲が『ビロードの闇』『99%LIBERTY』『薔薇と太陽』というように、抽象化された恋愛・愛について描かれた曲が好きなところからくるのだろう。加えて言えば、『ビロードの闇』の

”ビロードの闇に浮かんだ
愛する気持ちは本能
この澪つくし守るよ
キミだけをこのまま”

の部分のギター、『99%LIBERTY』のイントロのベースと『薔薇と太陽』のイントロのブラスなど、ソロが目立ってカッコイイ曲が好きなのも『彗星の如く』がいい曲だと思う理由になっている。


新しい時代

 さて、そこに収録されている楽曲『新しい時代』。今の日本、世界を取り巻く状況に際して、剛が作詞した楽曲である。曲もそうだが、やはり歌詞が聴けば聴くほど胸に去来するものがある。抽象化された思いや願いと、具象的な風景描写が重なり合って聴く人を惹きつけていく。
それでは、僕なりに感じた歌詞の考察を始めていきましょう。



”会えなくなってから どれだけ経ったんだろう
消えそうなこの世界 諦めたくない

僕ら 唱え合う...でも...”

 人と人との接触をできるだけ回避するため急速に加速したリモートワーク。物理的に会うことが困難になりながらも、新型コロナウイルスに対して最前線で戦う人達のため、自分達のため、この世界の存続ために導き出された行動。しかし、終わりが見えずどれだけ鼓舞しても報われないこの現状がこの歌詞から読み取れる。そして、



”自分が大切で悲しくなるんだよ 愛しているよきみを...
嘘ひとつないのに... その矛盾に揺れてる”

 どれだけ「命が大事だ」と言っても、「自分だけは大丈夫」「自分らだけは営業しても問題ない」というように、自身の生活のために他を出し抜こうとする人間であるが故の業や欲が、他を思いやる気持ちと同居し理想と現実の間に揺れる今の人々の心情が現れている。



”眺めていた 時計の針に 置き去られて...”

 この歌詞には、周囲が目まぐるしい速さで変化・順応していく中で自分ひとりが、かつてを忘れられず不安になる気持ちが現れている。実際そういう人もいるだろう。そしてここからサビへとつながっていく...。



”新しい時代が 始まる
このいまが寂しい でも 孤独を越えて
また会えるその日へ 抱き合えるその日へ
繋げよう 僕らのいま”

 たとえ自分が”いま”に適応できず、未来に不安を感じても新しい時代は始まっている。そして、今が不安で孤独でも、いつか再び直接会い、何にも阻まれずに笑いあえる未来を見据えながら生きることで、希望が生まれ今と未来が繋がることになる。そういう真っ直ぐな感情がこの歌詞からは伝わってくる。



”朝焼けた空から そっと星を灯す詩
繰り返すこの街が 失いそうな色
この窓辺で 仰いだ”

 この地球上で誰もが平等に享受できる陽の光。その光は生きとし生けるものの魂に注がれる灯火でもある。現実的な話をすれば、光は電磁波であり波長を持っている、そういった意味では、陽の光も一種の声であり詩であるのだろう。
しかし、部屋から覗いた街は人影が減り、人々の活力もすり減りどことなく活気がない。何気ないいつもどおりの日常は影を潜め、あんなにも鮮やかに見えた世界が、段々と色あせていき、一人ため息をつく。そんな情景がここにはある。
 隣の芝生が青く見えるのは、視点による密度の違いだが、都市部では人が減ればその分アスファルトが見え、モノクロな印象を受けるだろう。そう考えると、上記の2行目の歌詞は本当に素晴らしい表現がなされていると思う。



”光さえも照らせぬ闇と 闘うんだ”

 世界中の人々が闘っている。もっと言えば、医療従事者が闘っている環境は、そうではない人間の想像を絶するほどの闇である。僕らは研究が進み、ウイルスの解明が進んでいるニュースや、ワクチンが開発されたりするなど一筋の光が闇の中に差し込むことがある。しかし、この闇の最前線で闘う人達は、自分が死ぬかもしれないという恐怖と隣り合わせの別次元の闇で闘ってくれている。そこは、前述の光では拭えないほどの闇がある。その実情をこの一節で感じさせられる。



”旅立った命(うた)たち 鳴き止まない惑星(ほし)で
こころに咲く 手を繋ごう
また会えるその日へ 抱き合えるその日へ
繋げよう 巡り逢おう”

 個人的には、このサビが一番重要で感動させられた。
 人の営みは言葉でできている。それが、声や手話、文字によって表現され、あらゆるものが生み出されている。それを一つにまとめれば「うた」になるのだろう。そして、死ねば「うた」うことはできない。つまり、命とは「うた」であるということ。そうすると「泣き」が来るのが妥当だとも思うだろうが、もっと広く考えると、「鳴き」になる。
 誰だって大切な人を亡くせば「泣く」だろうし、表に出さずとも全くもって泣かない人間はいない。だが、言葉にならない音で感情や心情を表現するのは、ほとんどの人が無意識にやっている。総じてそれが出るのは、マイナスの感情であることのほうが多いと思う。
その点まで考えると、「泣く」よりも「鳴く」であるほうが自然に見える。
 このサビで言っているのは、コロナによって命を落とす人、その人を亡くすことで悲しむ人がいる。でも、その中でもこの地球に新たな命(うた)が産声をあげている。そして、どんなに離れていても決して無くならない、無くすことのない繋がりが存在することを忘れてはいけない。そうすれば、いつかその命と逢えるかもしれない。仏教に造詣が深い剛ならではの、輪廻転生の理を織り交ぜつつ古臭さを感じさせない新しい説法のような歌詞である。



”信じているよ 涙目に浮かべた
この地球(ふね)が 愛に着くのを...”

 ここは、ここまで語られてきた思いや嘆きを全てひっくるめて、この世界、人類、命がまた密接に関わり合うことが出来る日を信じてやまず、その時まで生きなければならない。そういった決意を、ただ真っ直ぐ、そして「地球=船」とした秀逸で的を射た例えによって、芸術的かつ雄大な愛を感じさせるものになっている。この喩えは本当に的確だと思う。船を漕ぐには船員が必要であり、どこを目指すかには船主、どう目指すかには航海士、それを支える料理人、そして食料など、船というものを維持し繁栄させていくにはありとあらゆる要素が必要不可欠である。そう考えれば、これ程スケールの大きなものを、その雄大さを失わせずに誰もがイメージできるものにダウンスケールする技術、ワードセンスに感服する他ない。



”新しい時代が 始まる
このいまが寂しい でも 孤独を越えて
また会えるその日へ 抱き合えるその日へ
繋げよう 僕らのいま

旅立った命(うた)たち 鳴き止まない惑星(ほし)で
こころに咲く 手を繋ごう
また会えるその日へ 抱き合えるその日へ
繋げよう 巡り逢おう”

 最後の大サビは、1サビと2サビの繰り返し。下手に歌詞を変えないことで、本当に心から伝えたいこと、これだけは解ってほしいという思いが伝わってきた。事実、この歌詞はこの世界の現状の真理というか、利害を取り払った核心をついていると思う。この歌詞で僅かでも誰かの心を救えているのではないだろうか。



勝手な言い分サ 通りすがりに聞いてくれ

 ここまで、新曲『新しい時代』について語ってきた。Twitterでも、この楽曲をパート毎に分けて合唱曲アレンジにして出してほしいと語ったら。想像以上に反響があった。KinKi Kidsは他のジャニーズやアイドルと違い、というか元々アイドルっぽくはないのだが(笑)、若い時から『LOVELOVEあいしてる』『堂本兄弟』などで吉田拓郎、山下達郎など日本音楽の先人たちから学び、各々が求めるエンターテイメントを磨き上げることで本物のアーティストとしての地位を確立した。その結果、『愛のかたまり』というKinKi Kidsとして一つの集大成が生まれた。そして、常に新しく何かを創り続け、挑戦するアーティストとして活動をしている。

 いつか終わりが来るのは分かっているが、それまではいつまでも素晴らしい音楽を世に届けてもらいたい。

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