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伝統芸能 記事まとめ

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伝統芸能について書かれた記事をまとめていく公式マガジンです!主にハッシュタグ「#伝統芸能」が付けられている記事を自動で追加し、紹介していきます。
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2022年2月の記事一覧

「余白の美」             銀座花伝MAGAZINE Vol.27

#余白の美 #「枯山水」と「椿」 # ボードゲーム #  世阿弥「野守」 2月は1年で最も冷え込む季節。厳しい季節を潜ったからこそ冴え冴えとした色が空間に映える。そんな彩りをもたらしてくれるのが銀座の「椿」です。椿は「余白の花」と呼ばれることをご存知でしょうか。そこには、日本の美意識が持つ、空間を愛でる、空白に可能性を感じる感性が宿っているようです。 銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に人々の力によって生き続

みてきたぞ

2022.2月26日 国立劇場おきなわにて大城立裕作の「首里城物語」観てきました。 後に組踊を考案する玉城朝薫が踊り奉行という役職を首里の国王から給わり、そこで見出した一人の青年から恋愛の業や人の情けを知り、新しい芸能(組踊)を作り出したというお話でした。 組踊は能などに近いので、 ・舞台背景は変わらない。 ・演者は男性のみ(そもそも武士の仕事だった) などのお決まりがあるのですが 今回は歌舞劇なので女性も多く演者として出ており、 舞台の背景は首里城やら船の上やら何度も

てくてくとことこのすけ2

2022.2月22日 組踊(沖縄オペラ的な)にまんまとハマった、休職していた1年。 その後、新たな仕事にヒーヒー言っている私はご褒美を欲していた。そう、組踊のチケットだ。 何よりナイス接客により昨年まんまと国立劇場おきなわの友の会会員になったので、その術中にも嵌まった者としては元を取るために観劇に行く必要があるのだ! というわけで、国立劇場おきなわに久々にチケット買いに行ってきました。 ↓以前の初めて国立劇場おきなわに行ってきた記事です。 その前に腹ごしらえ!那覇市安謝

神田のいいところ*秋葉原

こんにちは、まゆきち⭐︎です。 神田街歩きも終盤です。 寂しいです…😢寂しすぎて仕事辞めてからも東京にいる間は神田をウロウロするかもしれません。 わたしはどんだけ神田が好きなんだ…。 今日の神田街歩きは、職場のある内神田からちょっと遠回りして秋葉原駅まで歩くコース。 内神田(うちかんだ) 神田鍛冶町(かじちょう) 神田東松下町(ひがしまつしたちょう) 神田富山町(とみやまちょう) 神田岩本町(いわもとちょう) 神田佐久間町(さくまちょう) 神田花岡町(はなおかちょう) 神

「雅楽」・・・それは日本のクラシック音楽、そしてオーケストラだ!

日本人が初めて「管弦楽」を知り、導入したのは明治時代だ。まずは吹奏楽、そして鹿鳴館時代になって弦楽器演奏にも日本人はチャレンジし始めた。吹奏楽はペリーの軍楽隊の演奏が歴史に残されている最初の受容だと考えられているが、その後薩摩藩で軍楽隊が組織されたのが日本吹奏楽の発祥とされている。その指導をしたのが英国人のフェントンという人物で、その指導は横浜市にある妙香寺という寺院の境内で行われた。そのため妙香寺は「日本吹奏楽発祥の地」として現在石碑が残っている。また「君が代」の詩に初めて

邦楽の未来が危ないー

邦楽といっても、J-POPとかではなく、主に日本の伝統音楽のことー。 昨日の東京新聞WEBで「東京新聞記事「存続に危機感 邦楽ファンを増やせ!」という記事が掲載されていました。 新たなファンの獲得が進んでおらず、演奏会では空席が目立つ公演も。 確かに、記事にあるように、邦楽に触れる機会は圧倒的に少ないのかもしれません。 記事にあるThe Trio ~ヨーロッパと江戸の融合~の演奏を昨年12月19日、トッパンホールに聴きに行きました。 五世常磐津文字兵衛さん(三味線/中棹

宝生流宗家監修の新しい能楽鑑賞スタイル、「お家能」のご紹介

Makuake開始しました! クラウドファンディングページはこちら この度、宝生会で制作しております「夜能」のストリーミング配信と、能舞台を模した「檜舞台枡」で新たな能楽鑑賞スタイルを提唱するクラウドファンディングが実施される運びとなりました。 こちらにご紹介致します。 Makuakeでの「お家能」プロジェクトの掲載開始時などに、お得な情報をお知らせするメールアドレス登録フォームをご用意しておりますので、ぜひご登録ください。 【Makuake「お家能」お知らせメール配信

先祖が神として祀られる地で|東儀秀樹(雅楽師)

 1300年も雅楽を継承している「東儀家」の先祖は、聖徳太子の参謀だった秦河勝とされている。なので、聖徳太子や秦河勝にまつわる場所や歴史事にはいつでも興味をそそられてきた。法隆寺や広隆寺、蚕の社などを訪れると、他人事とは思えないほど何かしらの想いが湧き出る。  秦河勝は多くの大陸文化、つまり音楽や宗教、機織り、酒造、建築法などを伝え定着させた人物で、文化人でもあり政治家でもあった。しかし太子が世をさった後、京都太秦を本拠地としていた河勝は蘇我氏からの迫害を避け、兵庫県の瀬戸