Q.永野さん、福岡に実験的な公園はできませんか?
ユニークであること、すなわち、
ソニーらしい。だから成功した。
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伊藤 福岡の話をお聞きする前に、まずは僕も参加させていただいているソニーパークの話からお聞きしたいです。というのも永野さんのソニーパーク的視点が街づくりに大事だと思っていたりするので。
《Ginza Sony Park》は2018年8月にオープンして、約3年間の活動を経て、2021年9月に一時閉園。今は2024年の新しい《Ginza Sony Park》へ向けて、準備中です。今はどんなお気持ちですか?
永野 達成感とこれからの期待が両方ある感じですよね。達成感に関しては、《Ginza Sony Park》の3年間を振り返ると、3年前は全くのゼロだった場所、ソニービルだった場所がそこにあるだけだったんですよ。もちろん公園の“こ”の字もないし、そこでやるイベントもゼロだし、仲間もゼロだし、本当にゼロからスタートして3年間よくやったと思います。結果850万人以上の人たちに来ていただいて、それなりに社会的な認知をされたということは僕の中では達成感です。同時に2024年新しい《Ginza Sony Park》、新しい建物に向けた企みがスタートしているので、それがめちゃくちゃ楽しみ。達成感でホッとして、ひと段落というより、次に繋がっているという感じですかね。
伊藤 達成感という話をもう少し掘り下げると、この3年間の自己評価はどうですか?
永野 僕の評価は100点。これはもう間違いなくて。社内には、定性的、定量的、両方の評価基準があるわけですが、それを全部クリアしたと思っています。その上、定性定量に入らない、日々のお客様の楽しそうな顔とか、想像以上に現場のスタッフが頑張ってくれて来園された方を楽しませてくれたとか、予期しなかったことがたくさん起きた。それはすべて想定内ではなくて、考えを巡らせながら、3年間来たかなと思っているんですね。だから、自分の気持ち的にも会社的にも両方良かった。次の2024年の新しい建物に繋がる気がしていて、満足度を高めていると思います。
伊藤 ソニービルではなく、ソニーパークでなくてはダメだった理由はありますか?
永野 理由かどうかはわかりませんが、まずソニーパークの前身であるソニービルはもともとソニー製品のショールームだったんです。お客様はビルに来て、展示されている商品を見て、ソニーブランドを感じていました。「すげえクールだよね」「めちゃくちゃ小っちゃいじゃん」「めちゃくちゃ音がいい」とか。ビルそのものよりも中に展示してある商品そのものがユーザーに一番近いところにあって、それでブランド価値を感じていたんです。今回、僕はソニーパーク自体を商品と位置づけて、お客様に近づけたいと思ったんです。ソニービルの時はお客様がいて、ビルがあって、その間に商品があった。お客様から見ると商品が先にあって、ビルは後。このレイヤーの順番を変えたかった。なぜならばお客様がブランドを感じる時というのはユーザーにとって一番近い部分からだと思っていて、これをインターフェイスと定義した時、ソニービル自体は素晴らしかったんですが、建物自体がインターフェイスにはなっていなかった。でも、“場”だってインターフェイスになりうるんじゃないかと思いました。そして“場”がインターフェイスになることができれば、ブランド価値としては最大のものを提供できるんじゃないかと思ったんです。“場”は空間なので。空間は人がその中に入ったときに360度そこに包まれる。こんなに強いインターフェイスはないと確信していました。
伊藤 ブランド戦略的視点でいくと、ソニーパークはどういう価値のある場所だと思いますか?
永野 まだ途上ですね。ソニーの中でもそれがまだ理解されていない部分があります。考え方としては、ソニーパークは《Walkman》や《PlayStation》や《aibo》と同じレイヤーで、ユーザーの一番近いところでブランドコミュニケーションを行なっています。実はこのことすらソニーの中では理解されてこなかった。なぜなら“場”というのが商品を展示するサブ的なもので、“場”そのものがユーザーの一番近いところにあるという構造があまり理解されていなかったんです。メインは商品、“場”はそれを置く空間。僕が「Walkmanと同じレイヤーにしますよ」ということ自体、構造を変える話なので理解してもらうのが難しかったですね。しかし、どこで周りの反応が変わったかというと、一年目のユーザーアンケートでした。《Ginza Sony Park》の一年目は、あえてソニー製品をひとつも置かず、ローラースケート場であったり、運動会であったり、ブックフェアをやったり、食のイベントをやったり、ソニーの文脈にひとつもないことを次々とやってみた。それなのにアンケートを取ってみると、回答の第一位が「ソニーらしい」なんですよ。商品がなくてもサービスがなくても、この場所がソニーらしいと思ってもらえてるってことは、《Ginza Sony Park》がソニーのインターフェイスとして前にあるということを証明できたと僕は思ったんです。
伊藤 永野さんが思うソニーらしさって何ですか?
永野 ソニーらしさはひとつじゃないと思っています。100人いたら100人のソニーらしさがあると思うんです。それをブランド的にひとつにしようとは思ってなくて、それぞれにあっていいと思うんですよ。ブランドって記憶に紐づいて、その記憶はひとりひとりの物語になっているので。僕の中でソニーらしさと言えば、ユニークであること。ユニークであるという側面で、アンケートの「ソニーらしい」が評価されたかというとそれはわからないですけど、アンケートの中で「他とは違う施設である」という回答はいくつもあって、それも上位だった。他とは違うということを「ユニークである」と解釈すると、僕が持ってもらいたいイメージと近いかなと思った。商品がなくてもコンテンツがなくてもサービスがなくても、この場所そのものがソニーらしいと感じてくれたということは、ソニーのプロダクトがそうであるように、ユニークであるってお客様は思ってくれたのではないかなと僕は思っています。
伊藤 これは銀座だからうまくいったんですか?
永野 他でやったことがないからわかりませんが、うまくいった要素に銀座だからというのは少なからずあると思います。いくつか理由があって、ひとつは物語ができていた。1966年にソニービルが建って、それを取り壊して、公園にした。ソニー創業者のひとりである盛田(昭夫)がソニービルを建てた時に言っていた“銀座の庭”を現代風に解釈して“公園”にしたという物語になっているんです。これは銀座でしかありえません。渋谷でいきなり公園作りますよと言っても、それは「ソニーさん、都市開発のお仕事し始めたんですか」ってなるわけですよね。この場で50年間あったソニービルから始まる物語があったっていうことはひとつの大きなファクトだと思っているので、銀座でやる意味はそこにありますよね。もうひとつは銀座に緑が少ないとか、気軽に休める場所が少ないとか相対的な街の中でのコンディションから、公園というものの価値が他の街よりも高かった。あと銀座という地価が高い場所で公園を作るということ自体のインパクトが大きかった。「なぜ、すぐにビルを建てないで公園にしちゃうの?」と感じた人も多いと思うので、それもひとつ認知に繋がった、銀座だから成功した理由と言えるかもしれません。
チャレンジングなことしたいなら、
遠回りになっても、一度実験をする。
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伊藤 永野さんの中での公園の定義ってなんですか?
永野 公園の定義は要素としては“余白”。それは都市の中の余白という意味で“余白”。ベンチや緑、遊具がある施設が公園というのは都市公園法が掲げる一例であって、僕が公園を公園としているのは“余白”だと思っています。もちろん人は公園に、ベンチ、緑、遊具を求めている。それも公園。だけどそのもっと深いところで、“決められていない”ということを求めているんだと思います。その日の気分で何をしてもいい場所。散歩、食事、ボール遊び、昼寝。それぞれのその日の気分があるじゃないですか。それによって、その場所自体が如何様にも使えることが大事で、それはやっぱり決められてないからこそなせることです。人はなぜ公園に行くのかというと、自分の気分、思い通りに過ごせるから。緑があるから、ベンチがあるからではなく、余白があるからだと考えて、「公園は余白である」と考えたんです。ある意味で何をやるかは使う側に委ねる。普通、商業施設は化粧品売り場なり、靴売り場なり、運営側でその定義を決めているじゃないですか。でもここは受けて側が決めています。
伊藤 ソニーパークってそこにいる人が多種多様でしたよね。
永野 よくペルソナっていうじゃないですか。ターゲットは?属性は?とか。ソニーパークを始める時、それを全く定義してないんです。社内でもターゲットを決めてもらわないと何をしていいかわからないと言われた。でも、それはいらないと言っていました。結果として、男性が多かった、女性が多かったとか、それを後で見ればいいんじゃないの?と。なぜならこれは実験だから。若者向けの公園、女性向けの公園を作るということは、ある意味で反対の意味も込められていて、それ以外を排除することになる。僕らが作る公園は余白である以上、排除はないんです。
面白いのが、「余白を作ります」として受け手に委ねたわけですけど、パブリックなこの場は使っている人からしたら、実はプライベートな場になっていたんです。お弁当をひとりで食べるみたいなことはまさしくプライベート。街の中で人はプライベートな空間を探していて、プライベートの集合体がパブリックになる。そこから自然と属性が固まってくる。公園の中でプライベートな空間を見つけた人たちが集まって、結果的にその集合がパブリックになって、公園になったっていうことだと思っています。3年間やって、そのことは発見でしたね。
伊藤 ソニーパークはソニーだからできることだと言う人もいますよね。銀座の他の施設はとにかく売り上げをあげないといけない。ソニーパークみたいなことは到底できないと思っている人たちも多いと思います。ソニーじゃなくても成り立たせる方法ってあると思いますか?
永野 それはあると思いますよ。僕は3年間の実験の中でどうやってこれをマネタイズするかを常に考えていた。ボランティアで公園にしているわけじゃない、これは事業なので。事業を達成するためにはふたつの軸があると思っています。ひとつはソニーのブランド価値を上げること。そこにどこでマネタイズできるのかという指標があるわけです。ソニーパークは表向き、そんなにマネタイズのことは見えてきません。なぜならば、普通、不動産ビジネスは賃料で決まってくるんですがここにはそれがない。その代わりにいろんな形のマネタイズの仕方を実験している。本当にいろんなことをやっています。だから実感として、それぞれの立場によって、成立させる方法はあると思います。僕たち以外の銀座の施設だって、ブランド価値を上げたいと思って、それに見合ったお店を入れているだろうし、それに見合った売り上げを上げたいから、それに見合ったお店を入れている。ブランド価値を上げていきたい、売り上げを上げていきたいというのはソニーパークも共通なので、それが対極にあるとは思わないです。
伊藤 みんな考えることを放棄してしまっているだけで、やり方はあるってことですかね。
永野 3年間でわかったことは、公園にしてもソニーらしいと思ってくれているわけじゃないですか。加えて、建てないということがソニーらしいと思われて、グッドデザイン賞の金賞やiFデザインアワードの金賞など多くの賞をいただいたりして、建てなかったことでブランド価値が上がった。これがまずファクトとしてあるわけですよね。マネタイズに関してはまだ途上です。これはまだ実験が続いている。しかし、この3年間でブランド価値を棄損させずに外部へのスペース販売や物販などのマネタイズも成立させることができるラインはどの辺りかがわかってきたので、次の2024年に完成する新しい《Ginza Sony Park》では、同じ公園というコンセプトでも、もっとマネタイズできると思っています。これは“急がば回れ”だと思っています。チャレンジングなことをするときにはリスクや心配ごとは必ずありますが、遠回りかもしれないけれど一度実験をして解像度を上げてみるとわからなかったことがはっきりとわかるようになり、リスクや心配ごとはかなり減ります。ソニービルを壊して次は公園というコンセプトの新しいビルをつくります、とすぐに建替えを進めていたら、コンセプトだけが先行して中身が伴わない軽薄な建物になってしまったかもしれません。
伊藤 そういう意味でもこの3年間はすごく大きかったですね。
永野 学びであり、知見がものすごく高まった。他ではやっていないので、みんなが持っていない知見がたくさん貯まりました。
個の集合で街を動かす方が
より福岡らしい街になると思う。
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伊藤 福岡でソニーパークみたいな実験的な公園ってできると思いますか?
永野 できると思いますよ。
伊藤 即答ですね(笑)。
永野 はい(笑)。今、福岡では建物の建て替えがたくさん起こっていますが、例えば、行政の協力のもと建物を建て替える間に一回公園にするというルールを作ったりしたら面白いことが起きると思います。行政は何をするかと言えば、一回公園にしてくれたら、「その間の固定資産税を免除しますよ」とか、「次のビルディングの容積率を緩和しますよ」とかインセンティブをつける。そうすると、公園作った方が、急がば回れで、結局儲かる仕組みになる可能性があります。
実際にソニーパークができた時に国交省の何人かの若い方たちが話を聞きに来てくれたんです。「なんでこれができるんですか?」って。僕たち民間ができるのはここまでです。街の中に公園を作りたいというビジョンがあるならば、インセンティブを設計してください。と話をしたら、「そうですね。でもなかなかすぐには……」とか言って、帰られましたが行政の方が僕たちの取り組みに興味を持ってもらえたので、何か新しいことが起こる予感はあります。
伊藤 もし行政が入ってきた時、良い意味でも悪い意味でも行政は縛ろうとしてきそうですよね。景観とか、何とか言って。そもそも街は生きているから、そのあたりのセンスというか。実は福岡の開発でもこの問題は悪い方向で起きていると僕は思っていたりするのですが。
永野 銀座にもルールはありますよ。高さは56mしか建てられないとか、外側の屋外広告は面積や期間やビジュアル表現などの制限があるとか、いろいろあります。でも銀座はルールと寛容さの両方を備え持つ街だと思います。景観のルールを徹底して揃えることだけがいいことだっていうのは、僕の考える街づくりとはちょっと違います。街はテーマパークではないので、街にはリズムが必要です。テーマパークはコンセプトや世界観を完璧に再現しているという面では素敵ですよね。でも一定のリズムで多様ではないので街とは違う。街は高いところがあって低いところがあって、路地裏があって、幹線道路があって、歩いている人もいれば、自転車や車も走っていて、本当に多様じゃないですか。多様なものを吸収するのが街であり、そこにいる人も多様であった方が面白い。だから揃えることは見た目が綺麗かもしれないけど、それはとても表面的な気がします。
伊藤 永野さんはお仕事でもよく福岡行かれますよね。福岡を見ていて残念なところってありますか?
永野 昔からかなりの回数行っていると思うのですが、東京とあんまり変わらなくなってきている気がします。東京にもあるよねってものがどんどん増えている気がします。
伊藤 永野さんは福岡の中心のエリアだけでなく、郊外にあるインディペンデントな小さな店にも足繁く行かれているじゃないですか。永野さんが福岡に行った後に「ここに行ってきたよ」って教えてくれる場所やお店が地元の人でもまだ行けてないところだったりして(笑)。永野さんがそういうお店に行ったり、エリアを歩いていて感じる福岡の特色ってありますか?
永野 人間性でいうと、懐がすごく深いですよね。いろんなものを受け入れてくれる。人も物も。それを体現しているのは個人のお店だと思います。大規模なお店ではなくて、個人レベルのお店。究極は屋台なのかもしれませんが。細かくいうと、お客様との接し方は他の地域のそれとは明らかに違う気がします。だから、福岡は人だと思います。最近頻りに福岡で言われている“先進的である”とかそっち方は、あんまり福岡の色ではない気がしますね。
伊藤 街としては、テクノロジーとか、スタートアップとか、先進的な方向に行きたいようです。
永野 経済的にはそっちの方を取り入れたいのはわかります。ちょっと記憶が曖昧ですが、ヒラリー・クリントンが大統領に立候補した時に提唱していた政策案を見ると、個人商店レベルの底上げが最終的に強い国レベルの経済を作るという考え方をベースにした経済政策があったと思います。マイクロエコノミクス。要は大きなものではなくて、小さいものの集まり、集合体が街の経済、結果的には国の経済の底上げをすると言っていて、具体的に数字で定量化されていた記憶があります。米国では大企業で働いている人よりも中小企業で働いている人の方が圧倒的に多くて、その人たちはやっぱり個人レベルの仕事をすることが多い。大企業の資本で街を動かすやり方もあれば、個人レベルの小さな資本で街を動かしていくやり方もあると思いますが、街の規模や環境に合わせてどちらがよりサスティナブルであるかを考えていけばよいと僕も思っています。東京は巨大になりすぎているからすでに難しいところまで来ていると思うんですが、福岡だったらこのマイクロエコノミクス的な考え方はすごくフィットするのだろうと思ったりします。
良いと思えば、考え方を真似て、
福岡らしいことをやればいい。
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伊藤 永野さんだったら、福岡で何やりますか?
永野 ソニーパークの福岡版はあると思いますよ。
伊藤 本当ですか?ちょっと誘導尋問的に答えてもらっている部分もありますよね。すみません(笑)。
永野 いやいや。本当に思っていますよ(笑)。銀座とは違う成功体験になるかもしれないけど、福岡でも公園というインターフェイスで何かできそうな気がします。
伊藤 福岡ってとにかく食べて飲む街じゃないですか。余白がない。飲食以外は時間的な余白があるんだけど、そこを楽しむための街の余白がない。
永野 ソニーパークの知見でもあるんですが、街の日常の中に音楽やアートがあるとすごくいいなと思います。よく言われていることだと思うんですが、僕はソニーパークで実感しました。福岡の街の中に音楽やアートって本当にないですよね。この間、福岡出張の際、2時間くらい空いた時間があって、でも本当に何もすることがなくて、中途半端な時間にご飯を食べちゃった。本当はギャラリーみたいなものがあって、有意義に使えるといいなあと思ったばかりです。
伊藤 福岡はあのサイズの街なのに、僕ら思うような単館系映画館は一館しかないんです。ほぼ全部シネコン。みんなが観ないから潰れたんだっていう人もいれば、できたら行くよって人もいて、福岡で何かしようとする人は成り立つかどうかわからないからやらないって感じがします。
永野 福岡の街がユニークであるということを起点にしたら、“食”は大前提であります。それにプラスしてアート、音楽を街づくりに組み込んでいくというのは本当にあり得ると思います。“儲かる”“儲からない”はやってみないとわからない部分になりますが、一回しゃがんで経験してみて、そこからジャンプすればいいんですよ。期間限定の映画館だっていいですよね。しっかりとした箱を作ると投資がすごくて回収するのに20、30年かかる。でも仮設の映画館でもいいわけで、そういったもので一回実験してみてはどうなのかなって思いますよ。
伊藤 永野さんが、福岡にだってソニーパークみたいなものはできると言ってくれることで、「ここでも何かできるかも?」って思った人が福岡でより実験的なものを生み出してくれるといいんですけどね。
永野 福岡にも東京的なお店や施設があるように、東京にも福岡的なお店はありますよね。良いものは様々な形でデュプリケートされ広がっていくことは社会の必然だと思うんですよ。僕たちが銀座で公園を作った行為もデュプリケートしようと思ってほしい(笑)。僕がさっき言った福岡は東京にあるものばかりと逆なことを言っているように聞こえるかもしれないけど、そうではなくて、面白いと思ったらこの考え方を真似てしまえば良いと思うんです。できるものは福岡ならではのことで。
例えば、《Walkman》が出た時もそうだったんですけど、最初は「あんなの売れるわけないじゃん」って言われてたわけですよ。「音楽は家の中で聴くものだよ」って。でもものすごく売れたじゃないですか。さらに、他社も追随してそこに新しい流れができていった。
公園ができることで
街の景色を変えることができる。
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伊藤 僕も一緒に作る過程から体験させてもらいましたが、街に公園ができるって本当にいいことですよね。
永野 建物を建てる前に一回公園にするって本当にいいと思っています。街のみんなでそれをやったら必然的に緑が増えていくので。東京都で一年間にどれだけのビルディングが壊されているかって話じゃないですか。その合間に公園を作ることによって必然的に余白が増えていく。僕がソニーパークのプレゼンをした時のコンセプトの中には“移動する公園”というワードがありました。都市の公園は一ヶ所ではなくて、移動していくものだといいなと思って。行政が作るのではなくて、自発的に民間企業が作る公園が移動していく。今でもこれがすごくいいなと思っていて、本当に実現したいと思っています。
よく語られますが、ニューヨークのブライアント・パークは見本のような事例だと思っています。一昔前はめちゃくちゃ怖い公園だった。それをニューヨーク市と企業が一緒に整備したんです。プログラムされた公園にして、夏はフェスをやったり、冬はスケート場をやったり、それにスポンサーがついたりして。そうすると何が起こるかというと、周りのビルディングを持っている大家さんたちが喜ぶんです。環境が良くなったことで価値が上がって、賃料が上がる。賃料が上がると収入が増える。今度はその賃料の利益から公園のドネーションに回す。そこでいい循環がずっと続いている。このサイクルは本当にいいサイクルだと思っています。2016、7年頃の数字ですが、公園の収入が約12億円。それを市とNPOが管理して回している。公園を作ると周辺への良い影響が生まれ、街全体で良い方向に変わっていくことがある。公園ができることで街の景色を変えることができる。
伊藤 今、福岡は本当に過渡期だと思うんです。分岐点と言っていいのかも。ひとつでもこういう事例が出てくると街の風景が変わっていくと思うんですが。まずは福岡でソニーパークなんてどうですか?(笑)
永野 単刀直入ですね(笑)。今は計画にはありませんが、可能性はゼロだとは思っていません。今年も福岡には何度も行くと思うので、いろいろと見てきますよ。
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