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Q.藤戸さん、今、福岡のコンディションはどうですか?

藤戸剛さんは《FUJITO》のデザイナーであり、福岡、九州のブランド、クリエイターの合同展示会《thought》、マーケット《BLEND MARKET》のディレクターを務めている。僕の同世代で、福岡を代表する人物のひとりである。20周年を迎える自身のブランドのこと、アパレル業界のこと、福岡のこと、そして、新しくスタートするイベント《NEW WEEKEND》のことを聞いた。打てば響く。彼らしい言葉が次々と放たれる、気持ち良い対話になった。

「ようやった」とは思っている。
しかし、イケてるかはわからない。


伊藤 まずは自身のブランド《FUJITO》の話を聞かせてもらってもいいですか?

藤戸 今日はブランドの話からでいいんですか?

伊藤 藤戸さんはいろいろやっているけど、まずはブランドでしょ?

藤戸 そうですね。

伊藤 福岡でブランドをずっとやって来て、コロナもあったし、アパレルは大変だって聞くし、まずはその話から聞かせてください。

藤戸 大変だったんですけど……、今年20周年を迎えまして。

伊藤 それは、それは。おめでとうございます。

藤戸 2002年にブランドを立ち上げて、2022年が20年目という節目。応援していただいた皆さんに感謝ですね。

伊藤 20年前、どのような状況でブランドを立ち上げたんですか?

藤戸 ブランドを始める直前までは《DENIME》というジーンズブランドで販売員をしていました。西通りから少し入ったところにあって、《Seatttle’s Best coffe》とブックストア《hacknet》との複合ショップで。

伊藤 覚えてる!あった。あった。

藤戸 あったでしょ?あそこで働いていたんですよ。今で言うライフスタイル提案型ショップの走りで、ちょっと早すぎてお店としては難しかったんですけど(笑)。その店長をやらせてもらっていました。その傍らで、最後の1年間は、自分たちの場所を借りて、課外活動的なことをやり始めていました。

伊藤 どんな活動を?

藤戸 手刷りのTシャツを作って、友達に売ってみたり、みんながやりそうなことを。

伊藤 20年前だと……。

藤戸 27歳ぐらいですね。28歳で独立してるんで。

伊藤 血気盛んな頃ですね。

藤戸 ですね(笑)。学生時代からの友人である二俣(公一)くんやグラフィックデザイナーの友人たち4人でシェアオフィス的なものを平尾でやっていました。その頃に見よう見真似で服を作り始めました。

伊藤 その時は20年も続くと思っていました?

藤戸 全然(笑)。アパレルで働いていたんですが、当たり前ですが、売るのと作るのでは全然次元が違って。そこからはなかなかの苦行でございました。

伊藤 波瀾万丈?

藤戸 いやあ……、酷かったですよ。6年ぐらい飯食えてなかったですから。

伊藤 立ち上げてから?

藤戸 なかなかでしたよ。ジーンズのブランドで働いていたので、まずはジーンズから始めようと思いました。工場を開拓して、生産に携われる人を紹介してもらって、借金して、そこからやっとジーンズを一型作って……。

伊藤 それは想像するだけで、大変だ。

藤戸 ジーンズ抱えて、飛び込み営業して、どうですか?みたいなことを繰り返していたんですけど、そんなに甘くないじゃないですか。いよいよ、食えなくなって、アルバイトを始めたんですよ。その頃はもう結婚していたんですけど、家にお金入れてねえじゃんって話になって、大人としてまずいなって思い始めて(笑)。

伊藤 何のアルバイトを?

藤戸 弁当屋でアルバイトしてました。

伊藤 普通の弁当屋さん?

藤戸 はい。福岡のアパレルで長く働いていたんで、業界も、地域も離れたところで、家の近くの《かまどや》で働いてました。

伊藤 それは意外な選択ですね。

藤戸 距離が欲しかったんです。とにかく稼ぐためだけに集中したかったから。朝から15時ぐらいまで、アパレルの仕事をして、その後、アルバイトをする。それで稼いだお金を家に入れるみたいなことやっていたんです。それは、それでいい勉強にはなったんですけど、辞めるキッカケを探しながらやっていた感じでした。

伊藤 いつアルバイトを辞めたんですか?

藤戸 2005年の西方沖地震の時ですね。僕らの住んでいる周辺って、結構大きく揺れたんです。地震慣れしてないですし、体感として衝撃的でした。その時、僕はちょうどマリノアにある《ABC-MART》に配達に行っていたんです。そこで地震に遭いました。液状化現象で道路が割れて、人は騒いでいて、僕は《かまどや》の軽自動車で移動してたんですけど、その時、直感的に「辞めよう」と思ったんです。《かまどや》のキャップとエプロンつけて、最期を遂げるのはなかなか寒いぞって(苦笑)。《かまどや》が悪いわけではなく、自分の生き様として。それはちょっと情けなさすぎるって。で、すぐ辞めたんです。それから2度とファッション以外の仕事はしてない。自分のブランドを生業に生きて行くって決めて、20年間やってきました。

伊藤 自分としてはこの20年間の評価はどうなんですか?

藤戸 どうなんでしょうね。僕個人としては、「ようやった」とは思っています。ですけど、ファッションブランドとしての20年間が果たして、「イケてるか?」という評価に関しては、常に斜めから見てないとまずいかなと思っています。

伊藤 20年前からやり続けて来て、福岡のファッションシーンの中で、藤戸さんないし、《FUJITO》藤戸はどういう立ち位置なんですか?

藤戸 自分で説明するのは難しいですね。設立当初から、福岡にハマってはなかったと思うんですよ。一匹狼的なことが好きなわけでもないですけど、前例がなかったから。福岡のブランドで、全国で飯を食うみたいな感覚でやっているのって、レディースのブランドでいくつかあったんですけど、僕らみたいなメンズのブランドは全くなくて。参考にしたのは《MINOTAUR INST.》の泉(栄一)さんだったりとか、福岡ではないですが、《ENGINEERED GARMENTS》の鈴木(大器)さんだったりでした。

伊藤 《MINOTAUR INST.》は福岡から外に出て、《ENGINEERED GARMENTS》はニューヨークで活躍されているイメージだから、少しイメージは違うけど、感覚的なロールモデルという感じですかね。

藤戸 そうですね。僕の場合、ここに居続けてやっているので、そう考えると、ちょっと特殊で、福岡にはあまりいないタイプでした。

確変に入ってると感じて始めた
合同展示会《thought》


伊藤 今の福岡のアパレルの状況はどう見てるんですか?

藤戸 正直、厳しいと見ています。

伊藤 それはどのあたりですか?

藤戸 2011年、震災があった年に「地方にもうちょっと目が行くぞ」と感じたんですよね。いろんな意味で。文化も、ファッションも、いろんな意味で。そこで2012年から今も続けている《thought》という九州のブランドやクリエイターを集める合同展示会を始めたんです。

僕が立ち上げる時に思ったのは、黙っていても注目が集まるタイミングが来てるから、それをきちんと認識して、動いて行きましょう。言い方は失礼かもしれないですけど、風が吹いて来て、「今、確変入ってるよ」って思って、みんなに気づいて、動いて欲しかったんです。

伊藤 なるほど。

藤戸 でも、その確変が去年で終わったっぽいんですよ。

伊藤 去年で?

藤戸 正確に言うと、コロナ禍からですかね。

伊藤 それは最近ですね。

藤戸 これは僕の肌感ですけどね。今年3月に《thought》を開催して、ちょうど10回目だったんです。10回やって、僕らなりの経験値やデータが手元に残っているんですが、残念ながら「あんまり変わらんかったな」っていうのが正直な心境なんです。あくまで、自分の期待値と比べての話ですが。

伊藤 具体的には何が変わらなかった?

藤戸 数字です。売り上げも、来場者も。僕は数字を最も重要視したいと思っています。《thought》は春に全国のバイヤー向けBtoBイベントとしてExhibitionをメインにしているんですが、会期4日間の後半に土日限定で一般客向けBtoCイベントのMarketもやっています。そのMarketの反響が良かったこともあり、Marketのみを独立させた《BLEND MARKET》というイベントを秋にやっているんですよね。

Marketに関してはどちらも、もうお祭り騒ぎでどえらいことになっているんですよ。本当にありがたい話なんですけど……、ただ本当にやりたかったのはMarketではなくExhibitionなんですよね。だから、《thought》に関しては、いろいろと考えている最中です。

伊藤 展示会があってのマーケットなんですもんね。

藤戸 そこなんです。スタートは福岡、九州のブランド、クリエイターのためのBtoBの場だったんで、BtoCはオマケって言ったら失礼ですけど、後づけなんです。だから、僕らはBtoBの方に結果を求めてやって来ているんですけど、10回目で僕らが思ってるような結果にはなってないんです。傍目で見ると良いんですよ。むちゃくちゃ成立しています。出店者も増えていて、お断りもしている状況です。なんですけど、正直な話をしちゃうと、もっといけると僕は思ってたんです。

伊藤 風が止んだ?

藤戸 そういうことかなって思ったりしています。

伊藤 時代的には地方にもっと目は向き続けていると思うんですが?

藤戸 コロナを経て、オンラインで不自由なくオーダーを受けられるようになった。それが世界中に浸透しましたよね。僕もその恩恵は受けています。海外からのオーダーもここ2年間ちゃんと伸びていて、不安になるぐらいオーダーが入るんですよ。「見らんでわかると?」ってなるんですけどね(笑)。ただ一方で、フィジカルの場所を設けて、太宰府天満宮みたいな素敵な場所で、あの場所で見るからこそ、「面白いじゃん」って思えるそういう出会いを大切にするようなことを僕らはやってきたんです。

伊藤 フィジカルは必要なんですか?

藤戸 必要だと思っています。確信めいたものが今あるわけではないので、6月にコロナ前は毎年行っていたパリの合同展示会に2年ぶりに行くんですが、そこでもこの課題を考えて来たいと思っています。

今は“福岡”で捉えること自体が厳しい。


伊藤 風が止んでしまった福岡は、これからどこへ向かうと思います?

藤戸 僕の肌感で行くと、単体で強い人がどんどん出てくる気がしています。今はもう“福岡”で捉えること自体が難しいと思っています。《thought》という場所を作ったんで、僕自身もそれに加担して来てしまったと思うんですが、“福岡”として捉えてもらうよりも、ブランドを持っています、お店も持っています、SNSも含めて、売り方も持っています、となったら、つるまなくても、もう行けちゃうじゃないですか。だとすると、地域なんて関係なく、個々が面白いだけで十分だと思うんです。

伊藤 それ、すごくわかる気がします。

藤戸 だから、ここ数年、《thought》も何か変えないといけないと思っています。発起人を中心に当初からほぼ変わらないメンバーで10回やって来たんですが、発起人が真ん中にいる限り、考え自体変わらないし、10回もできたんだから、次の段階ということでメンバー内の世代交代をして、枠組みごと考えてもらって、潮目みたいなものを変えてもらってもいいかなと本気で思ってるんです。

伊藤 そこには《FUJITO》は参加する?

藤戸 出展者として参加したいですね。今のようにまとめる側でも、僕は普通に20回とか続けられると思うんですが、それはちょっと違うな、と。

伊藤 そうするともう還暦ですもんね。

藤戸 それは嫌ですよ。そうはなりたくないから、変わりたいと思っています。

伊藤 福岡という街のコンディションはどう見えていますか?

藤戸 今、ズタボロじゃないですか?(苦笑)。実は、昨日ちょうど、天神ビッグバンで開発されているエリアで撮影してたんですよ。自分のブランドだったら、普段はそんなことはやらないんですが、あるブランドとのタイアップの仕事で、ちょっとアーバン感を出したくて、「都市部で撮ろう」ってなって。言葉にはうまく表せないですけど、ちょっと居心地悪かったですね。正直、今の天神を中心とした開発からはできるだけ距離置いておきたいなあと思いました。

伊藤 僕の勝手な思いなんだけど、本当は藤戸さんみたいな人が中央にいて欲しいって思ったりするんですよ。福岡のことをずっと考えていて、やり続けていて、上の世代と下の世代を繋いでいて。藤戸さんが無理ってなったら、この近辺の人たちでもう他に入っていける人はいないでしょ?似合う、似合わないとかじゃなくて、切り込んでいって欲しいなあと。

藤戸 そうですね……。実は都市開発の関連で話はもらっていたりしたんですけど……。なんかすごいんですよ。なんかね。これも言葉にしづらいんですけど、現段階でいただいていたお話はもうお断りしました。

伊藤 少しは悩みました?

藤戸 正直悩みましたよ。「これ、もしかして、俺の仕事かも?」って。

伊藤 でしょ?

藤戸 個人的には新しい開発には 全く興味ないですよ。なんですけど、立ち位置的にも、多分、これは俺の仕事かも?って思うところはあるんです。ここで誰かがやっておかないとなって。だから詳しく話を聞いたんですけど、ちょっと違ったんですよね。うまく表現できないんですけど。だから、お断りしてしまいました。

伊藤 そうか……。

藤戸 中心部でやりたいこと、やった方がいいと思うことは思い浮かんでいるんですけどね。

伊藤 まだまだ天神ビッグバンは開発が進んでいるし、これを読んだ関係者は諦めずに藤戸さんに声かけて欲しいなあ。

藤戸 入るかはわかりませんけど、いろんな話は聞きたいですよね。

その街の匂いを嗅ぎに、公園に行くのが好き。


伊藤 天神ビッグバンをはじめ、福岡の開発エリアに藤戸さんが入るか、入らないかは別として、何があればいいと思いますか?

藤戸 渋滞しない道が欲しいですね。渡辺通り、西通り、博多駅周辺とか、人が多いですし、やっぱり避けて通りますもん。

伊藤 歩くこともあまりない?

藤戸 そこに行かない前提の頭になっちゃっています。自転車で通ることもないかも。

伊藤 道以外では?

藤戸 やっぱり、公園じゃないですか?

伊藤 みんな、公園が欲しいって言うよね。

藤戸 公園が欲しいです。広くなくてもいいんで、いくつか欲しいです。海外の展示会で主要な都市を回ると、必ず公園に行くんです。住んでる人たちの生活が見えるんですよね。その都市を感じることができる。その街の匂いを嗅ぎに公園に行くのが好きなんです。都市にとって公園ってすごく大事な要素だと思います。そういう場所に行って、自分がお店出すんだったら、あの角が良さそうだなとか考えるのが好きなんですよ。勝手な妄想なんですが(笑)。福岡って、ここの公園の周りが面白いとかってそういうことがないじゃないですか。それはちょっと寂しいですよね。昔だったら長浜の公園がちょっと悪い感じだったでしょう?だから、僕らはそこにいて、楽しかったんですよ。良い意味で、ですよ(笑)。

僕らが考える、
福岡のあたらしい週末。


伊藤 最後に僕が無理矢理、藤戸さんを巻き込んだ《NEW WEEKEND》のことを聞いていいですか?

藤戸 ちなみに総研さんから連絡をもらって、近くのコーヒースタンドに会いに行った時、内容聞く前にもう受けるつもりで行ったんですよ。

伊藤 本当に?なんか嬉しい話だな。

藤戸 内容はわからないけど、受ける気で行って、想定外の話でしたけど、僕が課外活動でやっていることの延長線上の話だったんで、聞いていて、楽しくなったと言うか、ワクワクしましたよ。

伊藤 僕が《INN THE PARK》から相談を受けた時に、すぐにマーケットやりたいなあと思って、それと同時に、「これは藤戸さんだな」って思ったんです。

藤戸 ありがとうございます。そういう時に呼んでもらえるのって、すごく嬉しい。

伊藤 だって、他にいなくない?

藤戸 そんなこともないですよ(笑)。

伊藤 《thought》《BLEND MARKET》できちんとした実績あるし、他にいないですよ。

藤戸 そう言ってもらえて、ありがたいです。場所が素晴らしいですしね。

伊藤 はじめての試みだし、どう受け止められるのか、純粋に楽しみなんだけど、今回のマーケットはどのようなメンバーを揃えた感じなんですか?

藤戸 言葉にするのは難しいですが、福岡でバシッとやってる人にしか声かけてないです。

伊藤 バシッとやっている人ね。なんとなくわかります(笑)。

藤戸 呼ぶ側と呼ばれる側の良い緊張関係みたいなものに応えてくれる方に声をかけたつもりです。あと、ビンビンにおしゃれな人達だけを集めてないっていうとこもちょっと注目してもらいたいです。少し外れたエリアにある知る人ぞ知るお店とか、老舗のお店とか、逆に骨のある若い子とか、福岡の地元な感じも織り交ぜて、ラインアップしています。総研さんと作ったコンセプト“福岡のあたらしい週末”を僕らが素直に表現すると、そういう人たちにも参加してもらうことは本当に大事だと思いました。

伊藤 そのあたり、藤戸さんの色が出るよね。

藤戸 やっぱ出ちゃいますよね(笑)。

伊藤 ラインアップ見ただけで、藤戸さんが福岡をどう捉えているかがわかるし、それを表現しているなあと感じました。今回、藤戸さんと一緒にできるかどうかって本当に大事なことだったので、開催する前から言うのも変だけど、本当に受けてもらえてよかったです。

藤戸 それが僕の仕事かなと思っています。僕も、福岡が長くなって、福岡が地元みたいな顔をしていますけど、実は佐世保出身で外から入って来ている人なんですよね。でも、僕みたいな人も福岡ってこういうところですよってもっと声高に言ってもいいと思っているんです。東京もそもそもそうじゃないですか?寄せ集めこそ、都市の要素だと思っていて、福岡もどんどんそうなって来ている。《INN THE PARK》も東京資本の会社がやっていて、ぱっと見、黒船感ありますよね(笑)。それを「それ知らんばい。誰や」と言って、関係を持たないことって簡単なんですけど、そうしてしまうとますます距離が開いてしまって、街としては良くない方向に行ってしまう危険があると思うんです。だから、僕みたいな人ができることがあるのであれば、中に入って行って、パフォーマンスして、みんなどうですか?ってやった方が健全だと思うんですよね。

伊藤 すごいなあ。ちょっと福岡のご意見番的な存在にはなりつつあるじゃない?

藤戸 危ねえな、それ(笑)。でも、関わらないと何も始まらないと思うんですよ。

伊藤 しつこいようだけど、その気概で福岡の真ん中でも何かやって欲しいとなあと思いますね。

藤戸 アイデアがあるんで、お話があれば、いつでも(笑)。

edit_Mayo Goto
photo_Yuki Katsumura



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