メディアのこれからと個人として
メディア業界の若手からみたメディア業界と個人としての葛藤を書きました。以下は組織ではなくあくまで個人の意見であり、まとまりのない文章になっているので温かい目で見れる人だけお願いします。
初対面の人に会うたび、私の業界を知られるとすごいね、珍しいね、大変そうだね、と言われることが多い。メディアの責任だ、お前らのせいだと一方的に非難されたこともある。メディア嫌いな人が一定数いることも知っている。それだけ人に発信する責任のある仕事であることも承知している。
ただ、報道に関わる人たちも人である。仕事だからやっているのであり、望んでいないことだってある。ジェンダーなど意識が高まっている今、内容に関して抗うことはもちろんあるが、まだまだ若手には厳しい、また何の情報を求められているのか、逆に何を発信するべきか1人の判断だけではすべてを決められない組織であることも事実。
InstagramやX、YouTubeなど個人が自由に発信し口コミやツイート検索で気になる店や世の中で起こっていることをある程度調べられるようになった今、大衆メディアはもはや不要で信頼どころか人々は興味さえもはやないのかもしれない。メディアといえば、政界や芸能人を陥らせる追及するしつこいやつら、大衆に偏った意見を流す鵜呑みにしてはいけないものというイメージなのかもしれない。淘汰されるべき、つまらない、人の不幸で稼いでる人たちなのかもしれない。
ただでさえ、仕事とプライベートの境目がないようなものなのに、知られるたびなんで目指したの?などと必ず言われるので、私はどんな仕事でもなんで目指したの?と聞きたいと思うしなぜ自分の業界は特に根掘り葉掘り聞かれなければならない、特別視されなければならないのだろうと思ってしまう。
それは、これまでメディアがどのような仕組みでどのように情報を得てどのような確認作業をして発信しているのか自分たちの役割の意義を発信してこなかったためとも思う。
メディアは、権力と距離を置き、権力に対して監視をし、人々の暮らしに密着しニュースを伝える役割を持つ。この意義は業界内にいる人間や行政の人以外には実感しにくい気がする。そして、情報は直接仕入れ、多くの確認の目を通る。ポジティブなニュースよりも興味を持たれるのは事件事故やゴシップネタが多く、特に被害者の報道についてはメディア批判も多い。
究極メディア報道がなくなり、負の事柄に対して興味を持たれない事態もどうなのかと思うが現状オールドメディアは衰退しかないだろう。
仕組みにも課題があると感じるがメディアができた時からのルールや考えは簡単には変わっていかないだろう。しかし、報道のノウハウが蓄積され、またその行使が仕組み上も許されているのはオールドメディアであり、ファクトチェックが各自に任されるYouTuberにメディアが担ってきた報道を担うことは不可能に近く媒体は無くなっても職業として個人個人の仕事や組織は発信方法を変え残ると考える。そのためには、現代で生き残る専門性やオンラインツールの技術など新たな技能が必要になってくる。
お金を稼ぐ以上100%善な仕事なんてない。どんな仕事にも保険の営業を友達にしたり、高齢者に商品を勧めたり、これらの行為に対して、ビジネスでないとしたらあまりいい行為ではないかもしれないが、その人まで否定することはできないと思う。だから、フィルターで見るのではなく、1人の人として接してほしいとプライベートではいつも思う。これは他の人たちに対してもそうしたい。仕事に全てを奪われないよう毎日を生きたい。