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地球一周分の距離には足りなかった

いまでは当たり前かも知れない
施設暮らしで車椅子での一般的な普通高校への進学を希望した
それに伴い担任・教頭・校長・教育委員会で〝受験資格の可否〟次に万が一にも合格した場合の〝住まい〟と〝通学方法〟が協議され続けられた

「行く行くは君には教職員になって欲しい」
「先生は個人的に応援している」

担任・教頭・校長が5月末から夏休みにかけ疎遠になっている両親宅に「合格したら親御さんの家から通学させて欲しい」と何度も交渉に訪れた
後に聞いたことだが通学のための福祉制度も活用して欲しいと説明したらしいが当時はそんな制度(送迎車等)なんてなかった
代用案として障害者手当なるモノが月額5,000円支給されたことも後に知った

そして何度目かの交渉では一献傾け、校長が酌み交わした
酔った頃に実父は「あんな奴、受かるわけない」と冷笑し、担任が「お父様は学力をご存知ない」と言った
ついでに「先生、本当に合格するなら家から通わせてもいいですよ。合格するならね」と言質を取った
「ありがとうございます。それでしたら教育委員会に話を通します」
「ところで、どこの高校へ?」
「◯◯第一高等学校です」
「冗談ばかり言って。受かりっこないですよ。それに家からどうやって通学するんです?私は仕事です。家内は運転免許もない。笑わせないでよ先生」
「前回訪問時に測ったところお父様の家から高校まで7.5kmでした。御子息に伝えたところ『……3年間無欠席通学をしたら大体1万kmくらいで地球一周の4分の1が高校生活の距離ですか。先ず受からなきゃ』と言いました」
「あいつはね 生意気なんですよ。車椅子に乗ってるなら大人しくしてりゃいいんです」

そこで担任が口を挟んだ
「お父様は御子息と最後にお話をしたのはいつですか?」
そして実母が何やら口を挟んだらしい

(実父が憶えているわけがない)

ここまでの会話は後に実母や担任から聞いたものを書きならべた


合格後、中学卒業後から実家のようなところに住むことになった
当時としては車椅子で普通高校へ通学するのは珍しいこともあり、春休み中は新聞・ラジオ・テレビと取材やインタビューが押し寄せた

実父はいなかった
実母が応対した

ヤラセのような誘導質問が飛び交った
概ね「お母さん、これまでどんな苦労をされましたか?
お涙頂戴の記事にでもしたかったのだろう

数日前まで実家のようなところに住んでいなかったことを誰も知らない

実母は何を言い出したかと思えば……
「お腹の中にいるときに流れてくれたら良かったんですけどね」
(これは目の前での発言であり、自分は「この人は誰だろう」と思った)

困った記者は「あ、あ、お母さん ご苦労なさったんですね」と繰り返す

隣りにいて苦笑いするしかなかった

「◯◯川の土手沿いを滑り落ちてみたり、この子が堕りないかと散歩を…」

さらに困った記者は「◯◯くんもがんばりましたね」と自分に向ける始末

おおまかこの繰り返しだった
それから数日は常に連絡の取れる場所をと中学の担任から指示があった

ラジオは単独インタビューで中学の同級生とバッティングセンターにいた
何を話したか憶えていない

テレビ局からは実母と一緒に進学先の学校で校舎を指差す仕草を求められた

今にして思えば『岸壁の母』の姿を演出したかったのかと思うこともある

それらの取材は入学式当日まで続いた


通学が始まった
遅刻だけはしたくなかった
車椅子だから仕方ないと思われたくなかった

教室は二階だ
車椅子では階段をあがれない
あがらなければ教室に入れない
制服のズボンが汚れるためにカバンの中に体操着をいれた
それを履いて車椅子を引っ張り上げながら二階へあがった

生徒が登校すると階段はホコリだらけになる
そのため遅くとも7時半には登校しようと決めた

一ヶ月も経つと実父から難癖をつけられた

「お前がいるせいで家の中がおかしくなってる」

いっそのこと出て行けと言ってくれたら誰かに相談することも出来た
6月くらいから実父が帰宅すると部屋に引き籠もっていた

やっと施設から出られた
あと三年我慢しよう
今までずっと我慢できたんだ

そんなある日の夏休み、酩酊した実父が暴れた

「じゃあ明日には出ていきます。お世話になりました」
「何だこの野郎!口答えしやがって!最初からそうすればいいんだ!」

実はゴールデンウィーク中に母方の祖父母宅へ泊まりに行っていた
叔父さんや叔母さんにも可愛がっていただいた
何より祖父も祖母もとても喜んでくれたのがうれしかった

祖母は「お父さんは大丈夫か?」と何度も何度も尋ねてきた
祖父は「なんかあったら◯◯(叔父)が使ってた納屋を使っていい」という
叔父は「休みのときに片付けておくよ」と言ってくれた

庭先の離れに叔父が学生時代に勉学に励むために簡易流し台やコンロなどを土間に設置した畳敷の納屋があった
(ラーメン好きの祖母の影響とこの時期に即席麺を作って食べていたことなどから今もラーメンが好きなかも知れない)

ささやかな問題は祖父母宅から学校まで24kmあることだ

すでに約70日弱は登校しているがざっと年間200日で計算すると以下の通り

・1日の走行距離: 48 km(往復)
1.年間の走行日数: 200日
2.継続年数: 3年
計算:
1.年間の走行距離 = 1日の走行距離 × 年間の走行日数
  48 km × 200日 = 9,600 km/年
2.3年間の総走行距離 = 年間の走行距離 × 継続年数
  9,600 km/年 × 3年 = 28,800 km
したがって、往復48キロを年間200日、3年続けると、総走行距離は28,800 kmになります。
この距離は、地球の赤道周囲(約40,075 km)の約72%に相当し、かなりの長距離走行となります。

Perplexity

部活の先輩が「お前なんていうかすげえな」と笑った
その先輩にはお世話になって地元の飲食店、楽器店、レコード店などを紹介していただいた
そして土曜日の部活が終わると「今日はあそこで食べて帰ろうぜ」と毎回、違う店に案内してくれた
地元(?)のことを何も知らないのでとてもありがたかった
先輩の家は自営業で先輩が「俺はバイトをしているから」と毎回ごちそうになってばかりだった
そして新譜のレコードを聞かせてくれた

先輩はいつも「チャーハンの美味い店はラーメンが美味いんだぜ。新しい店に行ったら半チャーハンとラーメンを食べてみるといい」と言っていた
そんなある日、「今日はカレーを食べようぜ。他の店とはちょっと違うんだ」とカレーを注文すると苦手な福神漬ではなく、紅生姜が添えられていた

「先輩、紅生姜好きなんですよ。珍しいですね」
「俺も福神漬は苦手でさ。お前はどうかと思って連れてきたんだ」

するとマスター(店長)が「お兄ちゃん、あそこの高校に行ってるよね?」と話しかけてきた
先輩は常連らしく「あ、そうです」と言い、同時に自分も「はい」と答えた

「あとでママ(夜の飲食店経営の奥さん)と話してくれないか?今日はごちそうするよ」

「ぶっ!なんだお前すげえな、あのマスター怖いんだぜ」
先輩が小声で言った

「今度いつ来れるかな?」とマスター
「学校帰りでしたら毎日ここを通るので大丈夫です」
「うんうん、毎日見かけてたよ。じゃあ来週の土曜日はどうかな?」
「はい」

翌週、先輩と訪れるとマスターから「カレーかい?ラーメンかい?」と言われ、先輩と共に「カレーとラーメン」と答えた

「いまママが来るからゆっくり食べてて」

今で言えばマツコ・デラックスさんのような風貌のママさんが出てきた
「お兄ちゃんのことは新聞で知ってるよ。市場でも有名だから」
「初めまして」
「実はね、うちの子の家庭教師をして欲しいんだ」
「家庭教師ですか?」
「私立の中学受験でさ。マスターと話してお兄ちゃんに見てもらおうって」
「やったことがないことと、合格の約束も出来ませんが」
「大丈夫よ。それで今、◯◯から通学してるんだって?」
「はい」
「遠いのに…… 土曜日は家庭教師のあと泊まって?部屋はあるのよ」
「はあ……」
「それで毎日5,000円現金払いとマスターのお店の食事付きでどう?」
「ごっ!5千円ですか!」
「雨の日はタクシー使えるでしょ?タクシー代は別に払うから」

先輩から「お前いい話じゃん」と言われた
同級生は喫茶店やバイク店などで週末夜な夜なバイトをしている
自分は就職してからでないとなーとぼんやり考えていた時期でもあった

祖父母宅から通学して二週間目のことだった
とてもありがたかった
当時、車椅子でアルバイトなんてあるはずもない

<この絡みと流れは後ほどマガジン「あのころ」に遺したいと思う>

合間に「愛は地球を救う24時間テレビ」出演を打診されたが学校側から断ってくれた
その他、当時あった東京12チャンネル企画番組で障害者スポーツ教室(タイトル忘れた)で市会議員と学校側で調整し、半年ほど毎週30分ほど出演していた

その後、国体(パラリンピック)強化選手になり高校生活最後の夏休みは合宿でほとんどを消化した
それは開催日が市役所職員採用試験日に重なり、就職試験を優先し参加取り消したが、見事に市役所職員採用試験は不合格となった

しかし大好きな祖父の一言で大学へ進学することにした
(祖父が下宿費用を出してくれる、その他忘れられない言葉を……)
そして中学時の担任教師から言われた言葉を思い出した
「行く行くは君には教職員になって欲しい」

でも学校の先生にはなりたくないなー
出来るなら日本国内と世界中を回りたいと胸に秘めていた

卒業式の日
初めてリーゼントにした
柳屋のポマードを塗った

三年間無遅刻無欠席で何名かと共に表彰された

後輩女子がその母親と花を抱えて待っていた
母親「娘があなたのことをいつも話していたんですよ」
後輩「先輩、いつもふざけてばかりでごめんねー」
このときに改めて高校に来て良かったと思った

#挑戦してよかった

なんか一気に書いたのでまとまりなくなったけれど高校生活の一部です


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