HIBAKUSYA/被爆者が世界の言葉になるとき(2024/10/11)
日本被団協 代表委員 箕牧智之さんの反応
夜、NHKでは、箕牧さんの感激している様子だけで声も音も流れなかった。当事者の声を聞きたいのに、どうして流さないのだろう。
率直でとても印象的だ。
そして、まさに受賞のその瞬間をとらえた映像はとても貴重だ。
何をNHKは考えているのだろうか。何故箕牧さんのコメントをそのまま伝えてくれなかったのだろうか。歴史のその瞬間、事実の持つ力と価値をおそらくまるでわかってないんだなあと感じる。
日本の被曝経験、被爆者の被曝経験は、ある意味しがらみの中で傍に追いやられ、背景に沈んで、一部が都合よく切り取られて利用されてきたのではないか。当事者ですら、もはや過去のものになってしまったって思っていたっていうのだ。我々の敗戦の歴史はこんな風に来たんだなっておもう。戦争に負けるってことは、経験したことを記憶に封じ込め、率直であることを憚り、戦勝国を気遣って、古びて忘れ去られていくことなんだと。
しかし、今世界で起きていることはどうだろう。
昨年10月7日のハマスら奇襲攻撃後のガザへのイスラエル軍の攻撃では、海外のニュースで頻繁にガザの惨状を広島の被爆後の姿になぞられる話が聞かれた。ハマスのトンネルに関しては硫黄島の話が引き合いに出され、ハマスのリーダーが殺害された時には、山本五十六が殺害された時の話に言及があった。アメリカに行って岸田元総理が威勢の良いことを言ったときには、日本はアメリカの属国だと言われた。
我々は戦争に負けて世界の大海原から弾き出されたような状況でずっと来たような気がする。考えることをやめ、経済に勤しんだ。でも、世界は日本が戦線から離脱した後も互いに競い、戦うことをやめなかった。引き続き植民地主義、覇権主義が世界を席巻した。同時に、国際社会のルールは進展した。
その中で日本の敗戦の歴史は、世界でいまなお参照され、比較対照されて議論されているのだ。
我々はもっと率直に歴史に向き合って良いのだとおもう、美化する必要もないが、卑下する必要もない。今回の受賞はそんな新しい歴史との向き合い方を提案してくれているようにおもう。
そして、日本人はもっと英語で情報をとりにいくべきだ。