24/9/29袴田巌さんご登壇
最後にお姉さまに促されるように、ありがとうございましたとおっしゃった巌さん。
何も、ありがとう、なんていう必要はないのです。
私はそう思います。
心を粉々になるまで踏み躙られ、どうしてここまで優しく淡々と清涼感のある声で語ることができるのだろうか、その超越した心境と奇跡を私は垣間見せてもらっていると感じる。
捜査能力の著しい欠如により的外れな犯人捜査を行なって、さらには証拠隠蔽・捏造にまで手を出し、被害者遺族も、被告人とその関係者も地獄に突き落とす。冤罪とは捜査機関のそんな喜劇と悲劇の究極の掛け合わせだ。任意性のない自白の証拠能力はない。でも真実の可能性が天秤にかけられる。それももうやめよう。ルール通りでいこう。
証拠隠滅の恐れが逮捕勾留の理由にされる。でもその危険を抱えているのは捜査機関の方でもある。それをどう抑止するのか?そうした議論が必要だ。証拠開示だ。国民の付託を受けた捜査機関が行うべきは、国民にその職責の成果を還元することだ。そして国民の監視を受けることだ。
この国には国民への信頼はないのか?であれば民主主義の国とはもはや言えないだろう。
国民には政権を選ぶ権利がある。
その権利を行使しないと権力は増殖して主客逆転してしまう。
今回の総裁選ではちょっとした政権交代が起こったのだろうか?そう言えないのなら次の選挙で政権交代を起こすべきだ。短期的に野党に落ちてもそれでいい。そのことの国民のメリットは計り知れないのではないのか。