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そもそもフリーレンはバトルものではない
この記事のAとBに区分けには概ね同意する。しかし、フリーレンはバトルものではない。バトルもの自体は単純に定義が出来ないが、フリーレンは戦闘を売りにした作品ではないし、そもそも作品の主題を示す第一話で戦闘を全くしない。何より単行本1巻で戦闘をしたのはゾルトラークのみ。最初から戦闘を度外視した人間関係を売りにした作品で戦闘や魔法は装飾に過ぎない。サンデーらしく高橋留美子やあだち充の路線、少年漫画の枠の中で少女漫画を持ち込んだだけで、フリーレン自体が最初から戦闘で作品を売ろうと全くしていない。
例えば本作は斧と剣の区別がない。本作がバトルものなら、剣は斧より軽く速いが短い、斧は長く重いが大振りで攻撃が単調になる、など理屈があるが、本作は魔法も含めて基本的に精神論で理屈がない。フェルンの超長距離魔法を見せた後、バトルものならそれが通じないから新しい技を編み出すという流れになるが、作者も読者もそういう事には興味がない。
ドワーフは体が頑丈だから攻撃を受けられるが、弟子はいくら強くても人間である以上は肉体の強度には限界があるのに、そんなの無視して敵の刃物を直撃しても平気な顔をしている。
これが例えば修羅の刻という戦闘しか売りがないような漫画なら、刀の鍔元は切れにくいからあえて踏み込んで受けて浅く済ませるとか、片田舎のおっさん剣聖になるの場合、剣の戦闘がメインの作品なのに追い込まれて投げや関節技を使う事で剣だけじゃない強さを見せて戦いに幅を持たせるとか両手剣と刺突剣と片手剣でそれぞれ戦術が異なるとか、バトルものには理屈や発想で苦心するが、フリーレンは1条件を提示したらそれがずっと通る、作品の売りはあくまで人情であって戦闘は絵柄の細やかな綺麗さでごまかしてるが内実は装飾に過ぎない。
上記の記事は事実上の少女漫画をあげて少女漫画の良さをあげてるだけで、その点が無意味。
フリーレン自体は素晴らしい作品で自分も全巻を揃えている。しかし、本作をバトルものなんて思った事はないし、むしろ戦闘してる間は話が進まないので戦闘はいらないとすら思ってる。
フリーレンが画期的なのは、交流を主題とした少女漫画でありながら、過剰な赤面や号泣や満面の笑顔などを売りにせずに、大事な所はむしろ一見平静ながら内情は激アツという、文法が少女漫画なのに表現が少女漫画じゃないところにある。
本作をバトルものと称するならイノセンスや人狼Jin-Rohは恋愛ものという事になってしまう。断片の要素としてある事と、作品の主題は異なる。