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20230211 - 顔が嫌い

みんなは自分の顔好き?おれはめっちゃ嫌い。どれぐらいかっていうと、世界で一番嫌な顔だなと思ってるぐらい、人のことを煽っているような顔をしているし、常に小馬鹿にしたようなナメてる目をして、鼻息荒そうな大きめの鼻に加えて、やたら猿みたいに大きい耳。自分の顔をそうだと思っている。事実だもん。ここ2年ぐらい特に自分が写真として残っていることをかなり嫌うようになった。インターネットとかでも、顔は絶対出したくないなと思っている。出すならもうインターネットで生きて行く覚悟ができた時です。作曲専業でやるとか、DJで年10回↑貰えてしまうようになった時とか(まだやる準備もないので一生来ないとは思っていますが。)ぐらいです。仮にアー写撮ってもらって、仮にメイクを頑張ってやっていただいても多分顔をいつもの単色アイコンで隠します。常に。それぐらい自分の顔を認識することが大嫌いだし、人にこの酷い顔を見られたくないなと思っている。申し訳ないなという勝手に他人にあてがうエゴの一種だ。


相貌心理学という学問を知った。最近のことで、本当に近代に誕生した学問である。人間の顔の特徴から様々な行動の傾向を判別していく、人間関係を構築しやすくする、コミュニケーションを円滑に行うなどと言ったビジネスなどで使われていきそうななんというか、怪しい学問だ。なんでこのワードを知っているかというと、大学の図書館に新刊として置かれていて、速攻借りているからだ。気になった。そもそも、今制作している作品がどちらかというとメンタリティやアイデンティティを失うことに重きを置いたものであるため、とにかく心理学を雑多に学んでおく必要があるなと思っていて、他には脳科学を勉強している。とにかく脳のことを学ばなければと借りて見て読んでみた。実際はビジネスとか自己啓発の色がかなり強く心理学特有の人間の醜さは露呈しないような書かれ方をしていた。(それを直していこう!みたいなニュアンスだ) かつ人間の顔が常に変化していくというそりゃそうじゃ感のある理由で前向きに書かれていた。そうした方がいいもんな。みんな聞くし。顔の形や顔のパーツからその人の性格や傾向を読み取るというのはなんとなく、失礼というか、恥ずかしい行為だと思っている自分がいる。それを相手に伝えなければ問題ないだろうが、でもそれを相手に伝えない上でやるのは自己に対する恐怖がある。人間は精神を持つ生き物であることを自覚しているにも関わらず動物的な骨格から行動の傾向を判別して最終的に性格の結論を自己内で完結させる、なんとも人間らしく醜い恐怖を孕んでいる。人間は2人いる時点でそれぞれの顔を認識しどういう人なのかな〜とか相貌心理学関係なく考えている。それが自分の顔が嫌いな自分にとっては大変恐ろしいことなのだ。

顔が嫌いということは恐ろしいことだ。わかるか。人間の顔なんて無くなってしまって欲しいと思っている。自分の顔が嫌いだからだ。自分の顔を商品にしている人がいる世界のどこかで自分はそう考えている。それほど顔というただのパーツは人間の性格を歪めてしょうがないのだろうなと思うと、そう歪んでしまう精神という虚構に対しても吐き気を催す日常である。

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