行商の人
行商の人が家に來たことがある人はどれ位ゐるのでせう。
私が高校生位迄、家には行商のをぢさんが訪ねて來ました。頻繁だった頃でも期間は大體數週間から一ヶ月に一度でせうか。決まった日にやって來るのではなく、不定期だった樣に思はれます。
私がをぢさんの姿を縁側や土間で見かけたのは、大抵晴れた土曜日の午後でした。平日にも家に來てゐたかも知れませんが學校に行ってゐる間は判りません。後ろに荷物を積んだ年季の入ったスーパーカブが、舗装のされてゐない農道を、車體を揺らしながら走って來ました。自動車とは違ったブンブンと云ふ独特なエンジンの音が近づいて來て、自宅の駐車場に止まります。すると大抵祖母か曾祖母が氣がついて玄関先に出て來ますので、をぢさんは先づは軽くこちらに「今日は」と會釈をし、徐ろに荷を解くのでした。
をぢさんは太い黒縁の無骨な眼鏡を掛けてゐて、角ばった顔立ちで、肌は浅黑く日に燒けて、實用的な作業用の紺色のジャケットを着、軍手を嵌めてゐました。餘りお喋りでなく、どちらかと言へば寡黙な人と云ふ印象を持ってゐますが、愛想が惡い訣ではなかったと思ひます。
をぢさんが持って來るのは主にお菓子と干物でした。お饅頭、鈴の形のカステラ、外郎等の甘いもの、煎餅、定番のポテトチップス等。祖母は甘いものが好きでしたので、お菓子を多めに並べてゐたのかも知れません。その他、ひじきや鰹節、缶詰類。小學生の私には外部の人間は珍しく、柱の影から観察してゐました。いろいろな品物が畳の上に廣げられて行くのを見るのが好きでした。思ひ返してみると、これほどのものがどうやってあのバイクに乘ってゐたのだらうと思はれるほどあれこれとあった氣もします。をぢさんは品物を並べながら世間話をしました。今日の天氣、最近は暑いとか寒いとか、作物の出來はどうだとか。
祖母は品物の中から一つか二つ見繕ひ、曾祖母が未だ生きてゐた頃は家の奧にゐる曾祖母に何か要るものはあるかと聲を掛けます。曾祖母は一往顔を見せるのですが直ぐに部屋へ戻って仕舞ひます。をぢさんが代金を計算して、では幾らになりますと言ひますと、祖母は布製の臙脂色の財布を取り出します。ここまで長くても十五分程でせうか。
をぢさんは廣げた荷物を慣れた手附で仕舞ひ、それではまた宜しくお願ひします云々と言って、ロープでバイクの荷臺に荷物を手早く括り、更に山側の奥の家々に向かってブーンと出發して行くのでした。山々に吸ひ込まれ遠退くエンジン音が名殘惜しい氣がしました。
年月が經つにつれ、段々をぢさんのやって來る頻度が少なくなりました。二、三ヶ月に一度が何時の間にか半年に一度になり、一年に一度になり、高校生頃にはをぢさんの姿を見掛けることが滅多になくなりました。田舎の町にもスーパーが出來て皆買ひ物に不便でなくなったので、賣れなくなったのでせう。今から十五年程前のことです。