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空が見える面積の話

先日、草刈機を取りに行った場所は、県内をずいぶんと北上していったので、たかが小一時間強でも、田舎の具合がなんとなく違って見えました。

「なんとなく、緑が多いね。」

そう、視界に入ってくる緑の量が違って見えたんです。
視界の両側に少し高い山があって、ひろ〜い谷なのか盆地なのかに、線が連なるように古民家が並んでいました。


なんとなく、田舎の一塊りの際に存在感のある森とか山があって、エッジがしっかりとある感じがしました。

だからか、集落の結びつきもしっかりありそうで、秋祭りにハッピを着て参加する人達も割と見えまして。
移住してくる人がいるとしたら、すごい合うかも?合わないかかも?が、ありそーなんて感想を持ちました。

帰り道、風土がしっかりと残っている感じを受けたのです。




車の中から、過ぎゆく道を見ていると…

夫の田舎の
〇〇のとこに似てる〜
とか
ウチの実家の
〇〇町もこんな感じやで〜
とか


となりました。

行きしに気づかなかった感覚が、道に不安がなくなり(地図を理解できたので)
帰り道、周りに目をやる余力ができたからだと思います。


夫が、

「空の面積が違う」

と言いました。

「そっか」

だからなのか。


私の実家がある所は、何というか少し低めの山が少し遠くに見えて、なんとなーく広い。

ひろ〜〜〜いっ!🙌
ていう広さではないですが。
空は広がってます。
いや、びよーんと伸びてるといいますか。

方言でいうところの、『ひらたーい』感じで。
絶妙な傾斜で山の水が大きな川に流れていくような感じでして。なんとなーく地形が上がったり下がったりはありますが、山が高くないので、結局、空の写真を切り取ると、両側に、迫り来る圧迫感はあまり何もなく…
残念ながら電線はまぁまぁ写り込むという感じのそこそこ広い空を持っています。



夫の田舎は、そりゃもう山が険しくて、最初の頃は、行き道帰り道で酔いまくり。
山の谷間に通した道に沿って帰るので、クネクネクネクネ。
ずっとどこかが工事をしていて、山の中をトンネルが貫いていたりします。
集落に向かう道々が、山に拒まれているようなそそり立つような道を行きます。

夫の実家自体は、小高い山の上にあるので、家に着いたら空は広いのですが、見渡すとすぐ先に高い山、山、山。
見下ろすと、道に沿うように集落があって…

今思えば、森林浴祭り。
ほっとくと鬱蒼となり、なかなか陰気な雰囲気にもなりうるくらい超自然。
冬は寒く雪深く、夏は涼しかったです。

空は、山に登れば広いけど
下に降りたら、そそり立つ山や森林に覆われて、小さなモチーフがあちこちに見える、そんな土地です。


私自身は、適応能力が完成するまでは文句が多いのですが、いつまでもグダグダいうのに飽きてくるので。わりかしどこにいっても、自分なりの生存方法を見つける感じです。
(小さい時はその感覚のコントロールがうまくできませんでしたが。)

なので、将来的に、夫の田舎に行くのも、別に〜な気持ちでいました。



が、夫は、なかったんです。
自分の田舎に帰る選択肢が。
理由として、寒いのが嫌とか言ってましたけど。

もしかしたら、空の広さだったのかもしれません。

家のある山の上にいると広い空も。
友達のいる集落まで降りると、緑で隠れてしまい、暗い。
子供ながらに、自由に遊びまわるには、「暗いなぁ、狭いなぁ」と思っていたのかも知れません。

その代わり、風土が守られてる感もありました。良くも悪くも。

コロナ禍に違う土地のナンバーの車が止まっていたら、あれこれ言われたとかウワサが流れてきたようで、こちらから帰省するのはタイミングを選んでいたのを思い出しました。

でも、逆に、すごく守られている感じも受けたのですよ。



私たち、あまり具体的に未来を考えてはなかったんですけれど。

夫は、コロナ禍以降、私の実家近くに、終の住処を考えました。
街中にあるマンションから見える空でもなく、ウチの田舎の空。

その広さが、今の夫の最適解だったのかもしれません。

ほどよく、外から入ってくるものを受け入れてくれつつ、なんとなーく昔風の慣わしもやったり。良かれ悪かれは、ここなりにあるんですけども。ここなりのなりが、夫には心地よかったのかもなーと思いました。


空が広いと、
解放的である代わりに、吸い込まれるような不安もあるかもしれません。


空が狭いと、
鬱々と圧迫めいた感じがある代わりに、囲われて守られて、そこにとどまれる安堵感があるかも。



空が広い、盆地だと…
暑くて、寒くない。

空が狭くて、起伏のある土地だと…
涼しいけど、雪深くて寒い。



人それぞれ。
好みもあれば、
環境や体調による、向き不向きもありますね。


『進撃の巨人』を書かれた諫山創さんが、以前密着の番組かインタビューで言われていた事を思い出しました。

故郷の大分県日田市が、モデルになったとか。
主人公のエレンたちが越えたいと思っていた壁は日田市をくるりと囲んでいる山々だったとか。「早くココを出たい」と思われたとか。
壁の外に早く出たいと思った気持ちを描いたとか。


小さな頃の思い出とか、
思春期の思い出とか、
ちょっと大人になってからの思い出とか、

実家とか、町とか、学校とか、友達とか。
親、家族とか。

転勤したり、引っ越したり…

いろんなしがらみやら、鎧やら、シェルターやらがあって。


それは、
守ってくれるものでありながら、枷になったり…

枷かと思っていたものが、すごく守ってくれていたものだったり…


そんな風にも思いました。



なんとなく、空の広さの好みってそれぞれあるんでしょうなぁ。

そもそも好みが違うのに、
同じ空を好むことを押し付けるのも違うし。
押し付けられる言われもない。
人それぞれだなと。


そして、空の広さが気に食わない人がいたとしても…
周りの人は、空の見え方や面積までは変えてあげられない。

今、空の広さがどうしても気にいらない人は…
気にならないところまで旅するしかないんだろうなぁ…

とかって、ドライブしてて思いました。

昨日は、サボったぁ!
何にもしなかった…
いろいろ無理だった。
特別何もしていないのに…
最近、サボってばっかなのに。
でも、そういう日が必要だったんだと
思うことにします。
何かをしてもしなくても
ストレスは溜まるし、
溜まったものはいつか出るし、
出さないとしんどいから。

よし!今日は、冷蔵庫を片付けよう!
やっとだ!


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