ぼっち在宅介護 心の模様と色が濃くなること
春めいてきました。
が。
朝晩、冷えますね…
養蜂巣箱にも香り付け(去年の巣箱から採れた巣クズや蜜蝋などで香りをつけたりします)を早くせねばですが…
なかなかいろいろあってできていません。
去年は写真を掘り返すとお雛祭りにしていました。だいぶ遅れてます…😅
養蜂。
私と主人は、養蜂家さんたちみたいに積極的にお世話をできないので、共蜂(協蜂?)と言って、巣箱を家にみたてて、大家と店子の関係でいるように考えています。
大きく手はかけず、家などの環境は提供し、巣を育むことなどは彼らに任せて…
万一、ハチミツを置いて逃去した(別の巣へ旅立つ)場合、ハチミツを家賃代わりにいただくことに決めています。
去年は、夏の暑さから蜂の巣板が溶けて落ちてしまい、夏の終わりに逃去していきました。
秋冬に向けて新たな巣の候補を見つけたんだと思います。あとに残ったわずかなハチミツをわけてもらいました。
(巣が落下した衝撃で垂れたハチミツを働き蜂は新居に運び、アリンコが更に下に垂れたものをいただきにきて、巣箱周りはスズメバチなんかがおこぼれゲットにきていまして、大して家賃はありませんでした😅
それでも貴重な活動の端っこをわけていただき、ありがたかったです。)
さて、今年はちっとも蜂を見ません。去年は庭をブンブン飛んでたんですけどねー🐝
山の畑の入り口周りを大きな工事をしているのですが、木々がだんだん倒されて、残る山の端っこに山向こうの大きな企業の建物がチラチラ見えるようになってきました。それでかな…
今年は、巣箱に入ってくれるのかわかりませんが…一応、トライしてみるつもりです。
住み良い山作りに参加させていただく気持ちでいます。
こういう風書くと、キレイゴトとか言われるかもですが。
別に、私や主人の生き方やいろいろなチョイスを肯定してほしいつもりはなくて…
いろんな経験を得て、ちょっとちょっと変わっていく考え方をnoteという場に書き記させていただいているという感じなんです。
で、表題の
『心の模様と色が濃くなる』は、まさにコレでして。
田舎にいますと、私より高齢な方の方がはるかに多く…元気に社会で能力を発揮している方もいれば、元気なんだけど認知症でウロウロする母みたいな人もいれば、父のように寝たきりで一見何の役にも立ってない人もいるわけです。
で、そもそも介護がはじまった辺りは、私自身も生活や仕事、自分のスケジュールがあったので、もう負担でしかなかったわけです。
行き来で費用も嵩むし、生活介助の実働には支払いはなく…ウチは、母がお金を使い果たしていたので、なんならこっちが急遽負担することもあり、何年でこの暮らしが終わるだろう?2年くらいかな?みたいな希望を持っていました。
で、やはり、数年間はつらくてなかなか厳しい現実だったんです。
体力的にもメンタル的にも…あと物理的な負担も含めて。
必ずしも、全てをプロに任せられる環境下にあるわけでないですし。
見れない見たくないで、簡単に放置できる問題でもないと思いますしね。
だって、放置したら、また社会的な費用を使って、どなたかがすることになりますよね。
ただ、ま、うまく介護に取り組めるようになってきますと…
なんでしょう?
父とか母とかとのやりとりから、終末期に向かっての気持ちの折りたたみ方を学んでるような感覚になってきたわけなんです。
こんなつもりじゃなかった…
と、悔やむことや、認知症になって忘れてしまうこと。
アレは忘れたくない!
と、なぜか笑ってスラスラ話せたり、喜んだりすること。
心の色の移り変わり
心の模様の変化
老いていく中で、人がどうなっていくのか?
どう心が移ろいでいくのか?
そんなことを見せてくれる、学ばせてくれている気がします。学校や仕事場ではなかなかまなべないかと思います。
老いて、寝たきりになってしまったら、
もちろん、社会的な役割も能力もありません。
早々にこの世を去って、介護枠を他の人に譲るべきと考えて、効果効率を考えるのも大事なのかもしれません。
あと…確かに…父と私には未練があるのかなぁ…いろいろと。
でも、私には、未練というよりはまだ父から教わらないといけないことの方が多くて…
山のこと、村のこと、自然のこと…
そこなんだと思います。(思いたいのかな?)
父は、今、ほぼ生きてないに等しいかもしれませんが。
当初の父の
「どこにもいかない。家でできる範囲のことで最後までいきたい」
というイメージからは、少しごっつめの医療的介護になってしまってるかもですが。
「家でできる範囲」からは逸脱せずに、イメージを共有した主治医と形にしてきたことなんで。ちゃんと父が父のお金の範囲でやりくりしてますし。よしとしたいと思っています。
父の身体を通して、ずいぶんと老後に向けての介護予防策を学ぶことができました。
介護実験です。
これは、頭がクリアで協力姿勢があり、寝たきりで自分の行動を諦めるしかない父だったから、協力してくれたことと考えています。
すぐにでも死にたい、迷惑をかけたくない。
なのに、心臓が止まらない。
そんな父ができること。
それは、未来のおじいちゃんおばあちゃんになる我々の参考を主治医や介護スタッフさん、私に引き出してもらうことだけでした。
⚫︎口腔ケアの大事さ
⚫︎口からご飯を食べ続けること
⚫︎関節は小さくでも動かしてると拘縮しない
⚫︎清拭だけでも肌はきれいに保てる
⚫︎腎不全、透析しなくても意外といける
⚫︎酸素が入れば咽せない
⚫︎水分が多く摂れると痰が垂れる
ま、父の場合なんですけど。
そう言う数々は、専門家の方々の中では当たり前にあった情報かもですが…
一市民、一般の人々にはどれだけ伝わっているでしょうか。
こう言う点を元気なうちから気をつける習慣ができていれば、
我々の代で、いわゆる社会的生産性のあるジジイやババアが勝手に生きていく道が、いくらかあるんではないかなーと私は思っています。
まだ、父の心臓が動く間は、実験を続けたいと思っています。
老いるとは…
心の色が濃ゆくなってくのかなぁと思っています。
生まれた時は、本当に無垢に真っ白で…
どんどん柔らかなパステルカラーで彩られて。
だんだん色が重なったり、バッと新しい色が入ってきたりして、マーブルになって。
濃いとこ、薄いとこがくっきりしてたと思ったら、混ざって曖昧になって…
そこに、
やがて、
ぽとっぽとっと墨汁みたいな黒が落ちはじめて…
だんだん滲んで…他の色をくすませてゆく…
最後はいろんな色が混じって、漆黒になるのかなー
そんな感じを、父から教えてもらっているような…気がしています。