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【ホラー/連載中】臓奇蟲

あらすじ/登場人物

それがいつからそこにあったのかは知らない。寂れた町の一角に建つ蟲を研究する謎の機関通称・蠱毒こどく課。ただでさえ人員の少ない職場は変わり者だらけで……?

朝蜘螺旋あさぐもらせん(62)
蠱毒課の研究員

田中次郎(31)
同上

虫鹿侑むしか ゆう(16)
蠱毒課の受付嬢。虫は大の苦手だが蟲には興味津々

1話:蠱毒課という仕事

その建物がいつからそこにあったのか。おそらく誰も知らない。緑色に塗られた外壁、虫の字が3つと皿が縦に並んだだけの素っ気ない機関名。日夜蟲を研究する怪しげな機関……通称・蠱毒こどく課。そこに勤務する研究員のうちの1人朝蜘螺旋あさぐもらせんは自らの手に握っていたメスを取り落とした。からん、と乾いた音を立てて磨かれた緑色のタイル張りの床に刃物が転がる。

(これはまた随分と)

手術台の上でたった今解剖したばかりの遺体の肺のあたりを見つめる。一体いつ入りこんだのかと思うほどの大きさの真っ赤なカマキリ……いや、蟲がいた。身を折りたたむようにして変色した肺と心臓の隙間にすっぽりと収まっており、触れようとした朝蜘の薄いゴム手袋をした指先に向かって両手の鎌を振り上げて威嚇している。

「大丈夫ですか朝蜘さん。顔色悪いですけど何かあったんですか」

少し前に手洗いに出ていた田中次郎が部屋に戻ってきて怪訝な表情をする。朝蜘は遺体の中にいる蟲を無言で指さす。その先を見た途端に田中はうわあっと情けない悲鳴を上げ、冷や汗を浮かべた青ざめた顔で壁のほうに後ずさった。

「な、なな……な、何ですかこれ!む、虫⁉︎」
「いや、どうも違うらしいカマキリにしては……」

朝蜘がそこで言葉を切り、蟲が潜んでいる隙間にぐっと片手を差しこみ、ゆっくりと引きずり出す。ずるりと粘つく糸を引いて出てきたのはおおよそカマキリとは呼べない醜悪な姿をしたもので朝蜘の長い指先に絡みつくように蟲の背中から生えたクモに似た八本の足が空をかいて蠢く。

「……さすがに大きすぎる」

朝蜘の片手に移った蟲を見た田中は気を失い、眠るようにそのまま卒倒した。倒れた体がタイル張りの床に当たり、ごんっという鈍い音がやけに部屋に大きく響く。朝蜘はそれを見てため息をつく。

「またか……そろそろ慣れてほしいんだが」

朝蜘はゴム手袋の上で足を絡ませ器用にバランスをとっているカマキリに似た蟲を一度ステンレス製のケースに乗せると田中に歩み寄って抱き起こす。気絶した田中の頬を2、3回ほど手の甲で軽く叩く。毎回蟲を見るたびにこの調子なのでいっそのことこの仕事を辞めたほうがいいのではないかと思うのだがいまだに言い出せずにいる。

「仕方ない……そこ、動くなよ」

朝蜘は自分の眉根に癖で指をやって揉むと後ろを振り返り、ケースの中にいる蟲に釘を指す。蟲は朝蜘の意思が伝わったのか身をすくめてみせた。その様子を見た朝蜘はうなずき、よいしょと田中を背中に背負うと廊下に続くドアをつま先で押し開けた。生乾きの洗濯物を放置した後のような湿った匂いが解剖室に流れこむ。等間隔に開いた窓からは曇った空と灰色の町が見えるが細かな雨ですぐにかき消える。休憩室までの道中誰ともすれ違わなかった。朝蜘は田中の体をくすんだ緑色のソファーに横たえるとふう、と息を吐く。昨夜遅くから運びこまれた遺体に憑いた蟲を調べるのに2人で徹していたため強い空腹と喉の渇きを感じた。

(たしかポケットに非常食があったな)

朝蜘は上に着たまだらに茶色く汚れた白衣をどけ、溶かした濃い抹茶のような色の制服の胸ポケットから銀紙に包まれた長方形のものを取り出す。これも緑だ。ゴム手袋を外した手で包みを割いて一口かじる。ざくざくとした食感とほんのりした甘み、味は悪くない。気がつくと手の中の非常食はなくなっていた。夢中で食べていたらしい。白衣や制服についた屑を手で払う。ソファーの田中のほうを見ると顔の筋肉がわずかに動いている。意識を取り戻したのかもしれない。朝蜘は音を立てないように立ち上がると廊下に続くドアを開けた。



あれ。僕なんでこんなところにいるんだっけ……?田中はぼんやりと霧のかかった頭で考える。

(たしか朝蜘さんと一緒に……蟲を)

直前のことを思い出そうとすると酸っぱいものが喉のあたりまで上がってくる気配があった。もしかしてまた、気絶したのだろうか。ああきっとそうに違いない。朝蜘さん怒ってるだろうな……。あわてて立ちあがろうとして足がふらつき、ソファーの手を乗せるところにとっさに掴まる。転ばなかったのにほっとして部屋を見回し今いるのが解剖室でないことに気づく。

(まさか朝蜘さんが僕をここまで……?)

ぼんやりとしていた田中の頭がそこでクリアになった。30歳以上も年が離れている人に自分を背負わせてしまったことが心配になってきた。腰とか大丈夫だっただろうか。田中はいてもたってもいられなくなり、休憩室を飛び出した。

「朝蜘さんすみませんでした‼︎」

田中が解剖室のドアを開けた直後に叫んだので不意をつかれて驚いた朝蜘は手にしたケースの中のメスや器具を危うく落としそうになった。いらだちを隠すことなく睨むと田中は「す……すいません」と小さく謝る。

「まあいい。回復したようでなによりだ。それより何か食べたほうがいい……徹夜明けだからね」

朝蜘はそう言うと白衣のポケットから先ほど自分が食べていたものと同じ非常食のバーを出して田中に向かって放った。

「あ、ありがとうございます。朝蜘さんはいいんですか?」
「ああ、さっき食べたからしばらく大丈夫だろう。それ食べたら自室で寝てくるといい、しばらく暇だろうから」

朝蜘はそれだけ言うと部屋を出て行った。廊下からカビ臭い匂いが流れこむ。田中は朝蜘からもらった非常食の包み紙を破り、先っぽを口に入れる。じんわりする甘みとクランチのようなざくざくした食感。噛んだ瞬間にぐうと腹の虫が鳴いた。



(あ〜……暇だ)

虫鹿侑は蠱毒課の入り口に設置された緑色のカウンターに座り頬杖をつく。アルバイトとして採用されたもののこうも人が来ないとやることがない。要するに暇を持て余していた。蠱毒課の人員は現在自分を含めると朝蜘と田中さんの3人。そんな人数で仕事が回っていくのだろうかと最初は不安だったが……自分が心配する必要はなさそうだ。与えられた仕事といえば来客と電話の対応、パソコンでの蟲のデータの整理。それ以外は自由だ。

(これならもう少し学校にいたほうがよかったかな……早く来すぎたかも)

窓から差す暖かな午後の日差しが眠気を誘う。欠伸をしてから伸びをすると侑は手元に置かれたパソコンを開き蠱毒課宛のメールがないかをチェックし、蟲のデータベースを開いた。現在登録されているのは全部で12体。それぞれ昆虫、魚、動物、その他の4つの型によって分類されている。ふと侑の脳裏にある考えが浮かぶ。それは「蟲を見てみたい」というほんの些細な好奇心だった。

「え、蟲を見たい?うーん別にいいと思うけど……一応朝蜘さんに聞いてみないと。鍵持ってるから」

仕事を終えた後仮眠から起きてきた田中は侑にお願いされ困り顔で頭をかく。

「田中さんは鍵、持ってないんですか」
「うん……管理は全部朝蜘さんがやってるんだ。1匹でも逃したら困るしね。よかったら聞いてこようか」

そう言ううちにふらっと朝蜘が部屋に姿を現した。一部に緑色のメッシュをかけた白髪がぐしゃぐしゃに乱れ、両目の下にかなり濃いくまを作っている。普段でも白い肌がさらに青白く、まるで幽霊のようだ。

「……話は聞いたよ。はい鍵、入るなら一緒に行くからついておいで」

眠そうな目で欠伸をかみ殺す朝蜘は侑にスーツから出した鍵を手渡すとまたふらりと廊下に出ていく。侑と田中はあわてて後を追った。(続く)

イメージスケッチ

執筆の合間に描いたもの
一部本編にない場面含みます

朝蜘螺旋、虫鹿侑
漫画もどき
表情とポーズ違い

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