いわき市長選と、常磐炭鉱【強制労働の真相】 〜 究明か??、風化消滅か??。□□ 福島県です!!
今回は、『朝鮮経済』のサイトからのブログのような記事を紹介します。
《 茨城の常陸「朝鮮人無縁供養塔」等、本山寺、日立平和台の慰霊碑 2019年5月》
これは、【朝鮮人のための、追悼碑をめぐる旅】のブログみたいなカンジです。
炭鉱だけではなく、日立の鉱山??等等で亡くなった方の為の、お墓も紹介。( 無知な私でも、その昔 日立に銅山があり、巨大な煙突も有名だったことを、どこで聞いたのか?、薄っすらと記憶してました。)
今回のこのリンク記事には、写真も多く、とても、しっかりした リポートなので、とても嘘だとは思えません。
わかりやすい地図も掲載されています。
これから、私自身は、いつになれば?、日本人の追悼石碑を訪ね、そして、どんな?、リポート記事を書くのだろう。この記事に、頭が下がります。
日立平和台霊園の「茨城縣朝鮮人納骨塔」
その碑文より
建碑の由来
茨城県に住む在日同胞の多くは戦前、日本の植民地支配によって強制、半強制的に連行された者、当時故郷での生活苦に耐え切れず玄海灘を渡った者とその子孫である。
( 一部です)
『労務動員計画』によって朝鮮人労働者の強制連行を実施したのは羽田精機竜ヶ崎工場であり、次いで
日立鉱山、
海軍西筑波飛行場(神崎組、鴻池組)、
常磐南部炭田、
日立製作所水戸工場、
日本通運土浦支店等がある。
( 一部です)
とても、いい文章であります。
追悼の文なので、深みが違います。しっかりと練られている。
考えさせられる。
私達も、戦地に行って、日本人である、自分の身内のために、追悼の碑をたてなければならない。
また、この茨城県の地中で眠る人々や、碑を建立した人達のことを、想います。
はじめに
福島県の いわき市長選挙がありますね。
まず、最初に、、コロナがひどく流行しているので、いわき市や周辺地域の皆さんは、大変ですね。様々な疲労が蓄積しているでしょう。
いっそ、笑えるYou Tubeとか、見れる人が増えることを、お祈りします。
お年寄り達は、どうしているのかな??。
いつも、こういう記事を書いて、暗くてスミマセンが、、私としては、全国的に、戦争の時代の追悼施設も、公立の石碑も存在していないような、状況なので、私が死んでしまう前に、何か少しでもしたいのです。
いわき市に、いくつかの慰霊碑が、必要だと思います。
そして、、どんな、宗教的な力があるかは、わかりませんが、フラダンスの祈り??との、融合も、ご検討ください(?)。
無理があるかな?。
営利目的では、良くないか〜〜。。
【 注意: 私は、、いくつかの、ネットからの知識で、書いています。どうか、ご自分で、正確なものを、お探し下さい。。】
1. とても 簡単に言うと 、、
太平洋戦争の末期には、、少なくとも、強制労働があったのではないか??。
若い男性は出征し、人手が足りない中で、過酷すぎる現場で働く人は、誰だったのか??。
2. 歴史も長い、、
常磐炭田 ( 私達が現在言う、常磐炭鉱?)は
広大だった!!
〜 茨城県の北部まで 〜
江戸時代末期に、見つけ出された。
そして、明治時代から本格的に、開発??。
茨城県の、北部にまで、及ぶ。
たぶん、日立市や北茨木市のあたりまでも(?)。
★ また、覚えておくべき ポイントとして、、福島県のいわき市を中心とした、広大なエリアの常磐炭田は、、
多くの??、小さな炭鉱の集合体だったのです。
勿来地区にも、ひとつ??、存在したようだ。
3. 当時の様子は ?
誰も 何も 語らない 『ヒミツの歴史』だった!!
いわゆる、炭鉱の労働条件は最悪だと思う。
イメージでは、、カナリアの鳥籠を携帯する。
坑道で、落盤・火災が起これば、絶望的になるだろ。
そして、、今現在は、それを伝える風景は無いに等しいと思います。
何よりも、わたしが、驚いたのことは、ほんの数年前まで、何も知らなかったことです。
私自身も、私の祖先も、昔から、いわき市の港町で生活しました。
私は、もう年寄りです。
何ひとつ、知らなかった。
何ひとつ、周りの人々は、若者に、語らず、暗示することもなかった。
パンドラの箱を開けてしまった、インターネットは、大罪に値するのか??。
故郷の歴史に、関心を持つことは、絶対に、許されないのか??。
【大人達のヒミツの完璧さ】、、それは、逆に、とても巨大な出来事があったのだと、単純に、想像してしまいます。
これは、、良くできた、、
SF映画のようです。
4. 集まった、 多くの労働者で、 にぎわった街??
〜〜 現在の、「いわき市」とは、 まるで違う??
明治時代から、国家のエネルギー源として、開発がはじまる。
鉄道・常磐線も作られた。
首都圏のすぐ側なのだ。
日清・日露の戦争の時代、、そして、昭和の満州で、そして 中国、アメリカとの戦争。
常磐炭田は、、石炭としては、優良なものではなかったらしいが、、本州最大の炭田だった。
( ということは、もしかすると、、北海道からの輸送船は、アメリカ軍によって、沈められたりしたのか??。)
わたしの、想像も混じるが、、福島県、宮城県、茨城県などの周辺地域からは、『働き口に困ったら、炭鉱に行けばいい』と言われたらだろう。
もっと、遠くからも、集まったろう。
かつて、、昭和の初頭から、日本も世界も恐慌だったのだろう。
どんどん、店や会社が、銀行が消えていった。
そうなのだ。。。
たくさんの人が、働き口を探したのか??。
仕舞いには、、太平洋戦争が近づくと、物資が統制された。
何も無くなっていく。。
炭鉱に、人が集まる、重い??にぎわいは、、沿線の多くの駅の周辺の労働者達の、風景は、決してカラフルな高級画像では、ないい、と思います。
5. 本当に、外国人の強制労働は あったのか??
わたしが、、いくつかのサイトを、読んでみたイメージでは、、明治・大正の頃の炭鉱には、植民地であった、、朝鮮半島等等からの人々が来て、働いていたのだろうか??。
台湾かもしれないが。。
実際は、、全くわからない。
もっと、きちんと調べなくてはならない。
完全に、私の妄想なのだが、、、東アジアの外人が常磐の地に、来て、和気あいあいと、暮らしている絵は、想像しにくい。
植民地から来た、外人と、どんなふうに、接していたのか?。
「いわき」の街を、自由に歩けたのか??。まったく、今の私には、わからない。
ひとつだけ、、祖母が言っていたことがある、、『喧嘩をしている、朝鮮人は、声が、とにかくデカいのだ。』と。
不思議に、、今、思い出しました。
6. 参照 ビックリして下さい!!
『 /中 いわき朝鮮人労働者 強制連行、他国の土に 炭鉱に2万人、300人が落命 /福島』 〜 戦後75年・浜通りの軌跡
毎日新聞 2020/8/22 有料記事 1297文字
画像:炭鉱での労働で命を落とした朝鮮人労働者らを供養する大越一優住職=福島県いわき市常磐湯本町の妙覚寺で
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