〖 ヒタリハナ 〗 2 四明けのオオカミ一ネンⓂ︎ 2021年3月31日 07:06 風に舞う、桜の時氣に、みな巻かれ嬉し出会いと、悲しき別れ。 人は罪の子ではないぞ、ツムル(募/津/集/紡/摘/積/粒/瞑)子であるぞ、とはいえ罪がないわけではない。我が我がと自分ですべてしているように思っておるが、人の行い見ればすべて神がさせているとわかったであろう。我で積んだものに埋もれて身動き取れんようになる道理わかったか。人は自ら目を瞑り見えないものを無いと申すが、そこには罪があるぞ。神を無きものとするとはそのコトであるぞ。人はヤミ(闇/病み)を見ればヤミしかみえぬと申すが、闇の中の蝋燭の灯りありがたくても捕われれば目が眩むぞ。ぢゃがカガク(火我苦)にも金にも金毛九尾にも罪はない。自分でしておいて勝手に何様を恨んでおるようではメクラ(目暗/目眩)じゃぞ、自分恨むより他なくなると申してあろう、メクラには困る困る。目を瞑りて思えばそこに景色面影は映り、アレコレと考えれば言靈さきわうであろうがな、それを自分でしていると思う我に罪があるのぞ。我の欲から生じたウズ海に巻かれることは埋もれると申すのぞ、自らに積んだマナ(学び/食物)は世のため人ために神が与えているものであるぞ、一応は自分のものとして良いのではあるが、それを自分のものとした侭では我良しであるぞ。ミタマ(身魂/実霊/靈)は常に掃除せねばならん。コモグ掃き出して世のため人のため生きてこそ真の喜びがあるぞ。ナルトとは自分をそとに送くる🌀のコト。世に出てナルヒト(成人/徳仁)となるのが鳴門の仕組み。神はせよとするなと申すこともあると申してあるぞ、無くせ成せと申すこともあるぞ、七七七七であるぞ、ナクセナナクセ(無屈せ名成苦せ)の我を小さく吾を大きくであるぞ。細かく解かれてわかるようでは御蔭少ないのぞ、自らキづくことに徳あるぞ、はよ神心悟りてくれよ。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #ひふみ 2