第39回忘バワンドロライ「あい」

「ねえみんな、“愛”って何だと思う?」
いつもの夕暮れ、練習を終えた小手指野球部の部室に要圭の楽しげな声が響いた。

「何だオマエ、また新しいJ-POPか」
「え?…そうだけどなんか葵ちゃん、バカにしてない?」
「おう、さすが智将。よくわかったな」
「もー、葵ちゃんはもういいよ。瞬ピーは?瞬ピーは“愛”って何だと思う?」
この話題に全く興味がなく背中を向けていた千早瞬平は突然の名指しに、小さな声で「メンドクセ…」と舌打ちをした。

名指しされた千早は中指を伸ばし、メガネを上げた。

『何でもいいんじゃないですか、リアルなものなら。現実から目を背けているような二次元じゃないなら』
そう言いかけたとき、つっちー先輩の姿が目に入った。こんなことを言ってはまた泣かせてしまう。千早は先輩の隣ににいる要圭を見て、要母を思い浮かべた。
『愛といえば“母の愛”じゃないですか?カルピスの濃さと愛情の深さに相関関係はありませんし』
そう言いかけて藤堂の姿に気がついた。藤堂は気にしないだろうが、やはり今の言葉はためらわれる。
“母”の存在はなくても家族愛の大きさに変わりはないことは藤堂自身が証明している。千早は藤堂の姉妹を思い浮かべた。
『家族…兄弟姉妹こそが“愛”じゃないですかね?』
言いかけたときに清峰と目があった。馬だ。馬の兄だ。あの馬も小手指野球部のエースである弟への深い“愛”があるのだろうが、その表現はかなり特殊であった。あの日、千早は自分が一人っ子であることに心から感謝をした。

「瞬ちゃんまで俺のこと無視すんの?何か言ってよー」
俺がこんなに悩んでいるというのに、何も知らない要圭が「早く答えろ」と急かしてくる。仕方がない。
『人類愛こそ“愛”ですね、こう見えても俺は博愛主義者なんです』
意味がありそうで空っぽなセリフでごまそうとしたとき、山田太郎の心配そうな視線に気づいた。
博愛主義の具現、内野の捕手。心優しき山田太郎。
彼の前で“博愛主義者”などと、口にするのもおこがましい。

「“愛”とは…」
千早は中指でメガネを押し上げ、アゴも上げた。

「“愛”なんてもんは存在しないんです。ただのまぼろしです」

千早のセリフに皆、一瞬言葉を失った。そして
「うわぁー、瞬ちゃんそんなこと言わないでよ。愛は勝つんだよ!愛がないなら勝てないじゃん!!」
要圭がうるさく責めてくる。
「千早くんらしい言い方だよね」
山田がフォローするように要圭をなだめる。
「オマエ中二病かよ!屈折がこじれ過ぎてんだよ」
藤堂が吹き出しながら背中をバンバン叩いてくる。

されるがままに千早はスカした様子で着替え続けた。
今まで知らなかった、仲間への愛とその信頼を噛みしめながら。

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