第52回忘バワンドロライ「投手」
「九」の数がついているのに九州には7つの県しかないと知ったのは中学生のときだった。
世の中は嘘に満ちている。
それが俺の目覚めの時だった、そのとき俺は子供時代を卒業したのだ。
ドラゴンボールの絵のパンツはやめた。鉛筆ではなくシャーペンを使うようになった。シャンプーは親父のトニックシャンプーだ、このスースーは子供には無理だ。スースーシャンプーを使うのか使わないのか、風呂場におけるバンジージャンプだ。
マルタイの皿うどんは1袋2人前を一気に食べるようになり、俺は一気に背が伸びた。身体が大きくになるにつれ投げる球も速くなった。めっちゃ速くなった。ばり速ぇえ。速くてビビる、自分にビビる。ビビってよだれ出る。速すぎてよだれ出る。豪速球で三球三振を取った俺はよだれを垂らしながら雄叫びをあげた。
三振を取るたびによだれを垂らして吠えていた俺はいつしか“狂犬”と呼ばれるようになった。
その昔、福岡に球団ダイエーホークスがきてから九州での野球人気に一気に火が着いたという。
俺は福岡の狂犬として九州で名を馳せた。
鹿児島には打席で「チェストーー!!」と叫ぶバッターがいた。
熊本には「ゴムゴムのーー!!」と叫びながらダブルプレーをとる内野手がいた。熊本にいたら尾田っちに会えるんだろうか。うらやましいぜ。
そういえば小学生のころ試合のときに「三投流」で一度にボールを3つ投げたことがあった。一発退場になったのは多分、投げた内の1つが審判に当たったせいだ。仕方がない、小学生の手は小さいのだ。
長崎のヤツらは西洋かぶれしていてケツがデカかった。毎日がエブリデイと二十四時間坂道ダッシュだそうだ。遠征で宮崎に行ったとき落ちていたヤシの実を飲んだら下痢になった。大分のヤツらはいつも温泉に入ってるからかニキビが少なかった。ピッチャーが魔球を投げていた。魔球「地獄烈火」。普通のフォークだった。
俺もシンカーに“イノセント=アサシン”と名前をつけたかったのに監督に却下された。代わりに“懺悔の陽炎”と言ったら
「もう……狂犬だけで十分だろ」
と目をそらされた。
佐賀県はまだ三角ベースが主流らしく試合をしたことがない。
中学生が学校の部活でなく野球を続けられるのは家族のおかげだ。
それは監督やコーチからもしつこく教えられた。
俺は野球が好きだった。俺の人生イズ野球だ。
野球を続けるのにはお金が掛かる。母さんがパートを増やしているのもその為だとわかってくると、無邪気に「野球が好きだ」と言い続けてもいられない。
野球やめようかな、と呟いたこともある。
「アンタが野球してる姿を見るのが大好きなの。最推しなんだからこれからも課金させて」
と言われた。後半部分の意味はわからなかったが野球を続けようと思った。
俺は福岡の狂犬だ。
そして日本で一番甲子園に近いと言われる帝徳高校に推薦入学をした。
東京だ。東京の高校だ。
タピオカ屋がたくさんある東京だ。
福岡を去るとき母さんに「絶対、甲子園に行くから」と伝えると
「イベントっ?!」
と嬉しそうな顔をした。
そうだ、人生最大のイベントとなるだろう。
俺は福岡の狂犬だ。
タピオカはダークマターだ。
オフのたびにタピオカを買いに行っていたから近くのタピオカ屋がつぶれた。俺が買い占めすぎたせいだ、やれやれだぜ。
野球が楽しい。タピオカが美味い。
俺は福岡の狂犬だ、見せてやろう俺の本気の