忘バワンドロライ2周年「好きな食べ物」
「千早くんのって最近できた駅前のパン屋さんのだよね」
いつの間にかみんなで集まるようになった昼休みの屋上、一人だけ2年生の土屋さんが髪型と同じ海苔で包んだおにぎりを食べながら尋ねた。
「そうです。元々パンは好きなんですがやはり腹持ちは米飯の方が上なんですよね。ここのお店はグルテンフリーの米粉を使っていますし個人的に天然酵母の複雑な匂いも好きで、惣菜パンの赤身ローストビーフは効率的にタンパク質も摂れま……」
「ヤマはおにぎり好きだよな」
お弁当は自分で作る派の藤堂くんが話をぶった切った。
千早くんと土屋さんは脚の速さだけじゃなく、こだわりについて話しだすと長いところも似ている。藤堂くんの見切りは正しい。
「別に好きってわけじゃないんだけど食べるのも作るのも簡単だし、買うときも悩まなくていいから選んでいるだけなんだよね」
「え〜、コンビニでどのお弁当にするか考えるのが楽しいんじゃん。パスタにしようかハンバーグにしようかサラダもつけたいけど高いなーとかさあ」
うん知ってる。要くんがずっとずっとずーっと時間をかけて悩んでるから反動で僕は即決するようになった。智将の機微で早く気がついてほしい。
話が長くなりそうな要くんの答えを放ったらかして清峰くんに顔を向ける。
「オマエは…米好きだよな」
鬼滅全巻が余裕で入る大きさのお弁当箱を抱えた清峰くんは藤堂くんに答えず、もぐもぐ食べ続けている。
「てめェ、無視すじゃねーよ」
頬っぺたを米粒だらけにしてご飯を頬張っている清峰くんが顔を上げた。
「ぬぬ?」
あー無視してんじゃなくて聞いてなかっただけなのかー。知ってたー。
藤堂くんが千早くんに顔を向けた。
「おい見たか清峰のアホを。残念だが俺たちのエースだ。図体をデカくするにはノンストレスのアホさと炊飯器よりデカイ弁当箱が必要っつーことだ」
「ですね」
「つまりオマエには無理っつーことだよな」
「…………ですね」
え?藤堂くんそんなこと言っちゃうんだ。
僕や千早くんのような小さくて細い体格は大体のスポーツにおいてハンデにしかならない。これからまだ背が伸びるとしても知れている。
今さら身体の小ささを嘆くことはないけれど。それでも、藤堂くんのような大きな身体をした人にあっさりとそう言われると心がザラリとする。
千早くんは無表情のまま黙っている。帝徳から推薦をもらい、プロも視野に入れていたであろう千早くんは自分の体格について考えたことはないんだろうか。悲嘆にくれた日はないのだろうか。
「俺ももうそんなには伸びねェんだろうな」
藤堂くんがパックの玄米茶を飲み干した。
「もーちょっとデカかったら氷河のゴリラみたいなのにもパワー負けしねーんだけどな」
空になった1Lパックを、紙くずのように片手でつぶす。
「いっそのこと千早ぐらい身軽だともっと速く走れるんだよな。もっと素早い動きもできそうだし。俺ぐらいってのが1番中途半端なんだよなー」
自分で握りつぶしたお茶パックに気付き「これリサイクルゴミじゃねーか」と、慌てて広げて伸ばしている。
千早くんがピッと伸ばした中指でメガネを押し上げた。
「藤堂くんが俺と同じ身長だったとしても、俺みたいに走れるとは思えませんけどね。足でかき回すのは難しいんですよ、駆け引きをしたり一瞬の隙きをついたり。脳筋の藤堂くんには無理ですから、せいぜい米を食べて筋トレに励んでください」
いつも通りの不遜な千早くんだ。
「んだとォ、テメェは単に性格がねじ曲がってるだけだろうが」
「計算や駆引きを“性格が悪い”としか考えられないそーゆーところですよ、せいぜい小手指2番打者としてがんばってください」
「1番は俺だっつってるだろコラ!!!」
猫のような顔をした千早くんはアハハーと相手にもしない。
千早くんが自分自身の体格についてどう思っているだろうなんて、僕はなんと失礼だったろう。千早くんが今までに考えたことがないはずがない。僕自身がそうだからよくわかる。野球を好きであればあるほどその絶望は深い。それはきっと千早くんだって。
でも今の千早くんはそんなところにはいない、そんなことを言い訳にする季節は彼方に過ぎ去ったのだろう。僕が出会った千早くんは、身体の小ささも俊敏さも性格の悪さも、すべてを武器とする千早くんだ。泥臭い努力をしながら僕たちには涼しい顔しか見せない千早くんだ。
「何ですか山田くん、パンが欲しいならセサミパンが1つ余ってますが…?」
僕の視線に気づいた千早くんがパンの入った袋を差し出した。
「ううん。何でもない、ありがとう。もうおにぎりでお腹いっぱいだよ」
「瞬ピー、パン余ってんの? 俺っち食べたいちょーだい!」
俺ゴマ好きなんだよねーと要くんがパンにかぶりつく。
「そういや前に帝徳との試合の帰りに“ゴマばっかり食べんじゃねえ!”って声が聞こえてさあ、帝徳にも俺とおんなじゴマ好きがいるんだなーと思ったよね」
「ゴマばっかり…ですか?」
「帝徳はゴマが主食なのか? ゴマをそんなに食べたらケツの穴がひらけゴマしちまうだろ」
「要くんの聞き間違いじゃないですか?」
「そうかなー」
「小さい方のピッチャーがゴマ好きだって兄貴が言ってた」
帝徳資料のDVDを渡されたときに葉流火は兄葉流馬から聞いていた。
「ゴマがケツの穴の意味でそれ以上の意味は千早に聞けばわかるって……」
お弁当を食べると眠くなる。
寝落ち直前に清峰が放った言葉は誰の耳にも届かず、小手指野球部に平穏な昼休みが流れていた。