第59回忘バワンドロライ「W」 その②

「おい、お前帝徳の国都だろっ⁉」
のんびりした休日の昼下がり、帝徳高校野球部の国都英一郎は街角で突然腕を掴まれた。
「誰だい君は、失礼じゃないか」
 国都は顔をしかめて、無遠慮に掴んできた手を払いのけた。「は?おめェ俺から満塁打っといて覚えてねぇのかよ。巻田だよ、氷河の巻田だ」
 氷河? 国都は先日行われた氷河戦を思い出した。先発で投げていたピッチャーは確か同じ1年生だった。球は速く重かったがコースが単調で球種が少なく、早い段階で対応できた。チャンスで打席が回ってきたとき、ピッチャーが焦っているのがわかった。狙い球を絞るのは簡単だった。あのときのピッチャーが目の前にいる彼だったのか。
「そうか、試合中は帽子をかぶっていたからそんな個性的な髪型をしていると思わなかった。申し訳ない」
 折り目正しく歯並びのいい口もとをほころばせた。
「あァ?」
 なんだこのムカつくヤローは、キラキラとスカしやがって。「ンだァ? ディスってんのかオラ」
「ディス……? それは英語の“これ”という意味だろうか?」
 英語だと? さすが帝徳の4番だ、そんな返しがくるとは思わなかった。巻田は焦った。だが引くわけにはいかない。ここは余裕がある感じを出してバーン!でガーッ!だ。
「ンなことより何でこんなとこにいるんだよ。練習あるんじゃねェのか」
「あぁ……」
 国都は顔を曇らせた。
「今日は練習が休みなんだ。以前は野球部に休日はなかったんだが、定期的な休みは科学的に推奨されているらしく最近は野球部も休みがあ…」
「一緒じゃねーかっ!」
 巻田が国都の言葉にかぶせてきた。
「俺んとこも休みなんだよ! 俺は休むほうが疲れるんだよ、野球の疲れは野球でとる派だからな…」
「そうなんだ!」
 国都も巻田の言葉にかぶせてきた。
「僕も同じだ、僕は毎日打席に立って対戦しないと気がすまないんだ。それなのに休みのせいでそれができない」
「マジかおめー! そうだよな、さすが帝徳の4番はわかってるじゃねェか」
 巻田はうれしそうに国都の背中をバンバン叩いた。
「僕もこの気持を理解してくれる人に出会えてうれしいよ」

 それから2人は、休養日にどうやって見つからないように練習をしているか―――同室のチームメイトがお風呂に行ってる間にタオルを使ってピッチングやバッティングをしていること、どうやって寝ているふりをしながら腹筋を鍛えるかという話で盛り上がった。
「ところで、僕は君とは同じぐらいの身長なのに体格が全然ちがう。練習メニューのトレーニングは欠かしていないし寮で食事管理もしてもらっているのに君のような大きな身体になれない。よかったら、どうやってそこまで身体を大きくしたのか教えてもらえるだろうか」
「そりゃお前、バナナだろ」
「バナナ?」
「バナナだよ、帝徳はバナナを知らねェのか?」
「知っているとも……バナナだろう? バナナを食べればいいのかい」
「毎日2つ3つ食べりゃすぐデカくなるだろ」
「バナナなら僕も毎日1つは食べているけれど、もう少し量を増やしてみよう。それならすぐにでも試してみてるよ、アドバイスありがとう」
「礼を言われるほどのことじゃねーよ、いいからバナナを信じろ。まぁどんだけ食べてもデカくなれねーヤツもいるけどな」 巻田はシニア時代のチームメイトを思い浮かべた。だがそんなことより国都の言う「バナナ1つ」は1本であり、巻田の言う「バナナ3つ」は3房であった。圧倒的に食べる量に違いがあるし、そもそもバナナを信じたところでどうにもならない。

「Excuseme, Can you tell me the way to 〜〜〜?」
 そのとき、道に迷ったらしい外国人観光客が話しかけてきた。巻田が口を大きく開けたまま顔を背けたので、国都が「Well…」と返答しだした。マジかよ帝徳。帝徳パネェな、これが帝徳の底力か。
 観光客は国都とひとしきり話したあと、大げさにサンキューサンキューと言いながら遠ざかっていった。「何言ってたんだ?」
「美術館までの道順を聞かれたんだが、改装工事中だから近くの歴史博物館を勧めたよ」
「スゲー帝徳っぷりだな。英語を喋ってたら智将みたいだな」
智将、という言葉に国都の顔色が変わった。
「智将というのは都立に行った要君のことかい?」
「あぁ、アイツ英語ペラペラなんだぜ。さっきのお前よりペラペラだったかもな」
「いや、僕なんか日常会話しか話せないよ……」
 それにしても、と続ける。
「英会話も勉強しているとなると、要君たちは大リーグも視野に入れているということだろうか」
「マジかよ⁉ っつーかお前智将と知り合いなんか?」
「知り合いと言っていいのだろうか。かつて、共に甲子園を目指そうと約束をしたんだ」
「青春だなオイ‼ 智将は何つったんだ?」
「勝手に……」
「は?」
「勝手にすれば、と」
 巻田は驚きのあまり声も出なかった。
「勝手にすればって、それ約束なんか? 智将なりの特別な意味があるんのか。智将が考えてることはわかんねェな」
「まったくだよ……」
 少しうつむいた国都にまた巻田が続けた。
「おめェ次は打たせねェからな」
 国都が顔を上げた。
「俺は人類初の“マキタ超ロックボール改”を開発した、もう打たせねェぜ」
 あの日の試合を思い出す。巻田の球は重くて速かった、惜しむらくはあまりにも単調だったことだろうか。そこに新しい球種が加わったのならもう簡単には打たせてもらえないだろう。
「そうか、1年生の君がそんなに成長していってるなら先輩たちも安心だろうな」
「だろ⁉ そう思うよなァ、なのにアイツら全然わかってねェんだよ。俺のこともゴリラ呼ばわりするしよォ」
「ゴリラ? ゴリラなのか君は、どう見ても人間にしか見えないんだが」
「よくわかんねェ先輩なんだよ、清峰のこともゴリラつってたし。清峰より俺のほうがスゲーけどな」
「えぇ、清峰君もゴリラなのか? ……清峰君たちが帝徳に来なかったのはゴリラが理由なんだろうか」
「わかんねーけど、帝徳こそおめェみたいな1年生がいりゃあ安心だろ」
「僕は全然だよ、先輩たちに心配をかけてばかりだ」
 そう言ってまた少しうつむいた。
「はァ? 何言ってんだおめェ俺からホームラン打っただろうが! 天才の俺様からホームラン打ったヤツがうつむくんじゃねェよ!」
 そんな風な言われ方は初めてだった。そうだ。僕が自分を否定したところで、僕が打ったピッチャーや試合に出られないチームメイトには関係がない。僕はただの帝徳の4番だ。不安を抱えて恐怖を感じていても、僕はこれからも打席に入るだけだ。

 そのとき巻田が突然あらぬ方向を指差し大きな声を上げた。「うぉおおおっ!! マリンタワーが動いてるぞっ」
 巻田の指差す先には帝徳の2年生陽ノ本がいた。
「僕の先輩だ、はぐれてしまった僕を探しに来てくれたんだ」「帝徳のランドマークタワーかよ」
「君に今日出会えてよかった。これから君のことを巻田くんと呼ばせてもらって構わないかい?」
「いいぞ国都!“巻田クン”は嫌だが“巻田くん”はカッコいいからな!」
「ありがとう巻田くん。僕は行くよ。次も僕が打つ」
「言ってんじゃねェよ、次は当てさせねェよ」
 2人は笑いあってから背中を向け、それぞれの場所へと帰っていった。

 巻田が数歩進んだところでお腹を抱えて笑い転げている桐島を見つけた。
「国都クンて、綺麗な巻田クンやねんなw」
 クソっ、聞いてたのかよ。
「綺麗なジャイアンみたいに言うんじゃねーよ」
「冴えとんなゴリラ。そう言うてんねん、ダブルゴリラやったな」
「何だよゴリラって」

帝徳高校と氷河高校にゆったりとした休日の時間が流れていく。

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