第56回忘バワンドロライ「バッテリー」
「ヤベェ。千早、充電器貸してくれ」
梅雨が明け、セミの鳴き声がうるさくってきた夏。
2時間目と3時間目の間の休み時間に汗を流した藤堂がスマホを手に慌てていた。
「それは大変ですね、これどうぞ」
カバンから素早く取り出された充電器にスマホを差し込み、藤堂は教卓から見えない教室の隅を探しコンセントを差しこんだ。
「間に合いました?」
「おう、バッチリだ。昨日うっかり寝る前に充電すんの忘れたんだよ。助かった」
「気にしないでください、見たくない気持ちはわかります」
「だよな。ゾッとするよな、あの文字」
【バッテリーが不足しています】
「冗談でもやめてください。本当にそのまま過ぎてシャレになりません」
口調は平静を装っているが、キツく目を閉じて中指をメガネに置いたまま固まっている。
去年まで同好会でしかなかった都立小手指野球部。目下の悩みは圧倒的な部員数の不足だ。全国的に見ても、高校野球連盟に選手登録されている数自体が減り続けており、甲子園で名をとどろかせた強豪校が休部になっている。部員数の足りない公立高校は、公式戦では陸上部やサッカー部に助っ人を頼み青春の思い出の1ページを作る。となれば昨年まで同好会だった都立小手指野球部の部員数が足りないのも至極当然だ。
「バッテリーだけじゃねェけどな、どのポジションもカツカツだ」
「とは言っても連戦で駒数に困るのはピッチャーです。氷河レベルの強豪でさえも」
無名の都立に、甲子園に最も近い帝徳高校から推薦をもらっていた選手たちがいる。
「あいつの調子さえよければ帝徳でも打てねェんだけどな」
10年に一度の怪物天才ピッチャー。
「本人が気づいてなくても疲れは蓄積されます」
鉄壁の二遊間。
「もう一人の天才は最近どんな感じだ?」
天才を守り、横に並ぼうとした努力の天才。
「昨日も筋トレをさぼって先輩たちとホースで水遊びしていました」
忘却の頂点、記憶喪失。
「あのガキィ!しばき倒したろかぁああっ!」
椅子から立ち上がって吠え上げた。
「暑いです藤堂くん、暑苦しいです。ボリュームを落としてください」
暑さでイライラしている藤堂をなだめる。
「スマホのバッテリーではないですが、投手と捕手もプラスとマイナスの関係ですよね」
「あ?」
「我を通すタイプの投手にはゆっくりなだめるキャッチャー、気の弱い投手には大丈夫だと励ましてくれるキャッチャー、テンパりやすい投手には落ち着いたキャッチャー」
「そんなもん基本だろ。素の性格がどうであれ、試合中はキャッチャーが投手に合わせる」
と言いながら帝徳のキャッチャーを思い出した。
「おい待て。帝徳のデカいポジティブ野郎とイジケ野郎の両極の2人を相手しているキャッチャーってひょっとしてスゲェ奴ってことか?」
「気付きましたか? あれはとんでもなく器が大きい、もしくは人を動かすことに長けているのどちらかですね。後者であればカーネギーになりますから将来は財団ができますね」
「は。何言ってんだおまえ?」
「ただの独り言です、藤堂くんに理解してもらおうとは思ってません」
答えながら、藤堂の“何言ってんだ”の顔を久しぶりに見たなと思った。4月当初はずっと見ていた表情だがいつの頃から見なくなっていた。出会ったときは1番苦手なタイプだと思っていたのに、今じゃ気がつけばいつもつるんでいる。
「まあつまり、ピッチャーとキャッチャーにはバランスが必要って話です。清峰くんと要くんのバランスは現状、超水素水の化学式H14Oと同じぐらいムチャクチャだというオチに持って行きたかったんですけどどうやら手詰まりのようですね。あぁそんな憐れんだ目でみないでください。もう授業が始まります。バッテリーの話ですか? そんなもん、どうしようもないでしょう。だって代わりがいないんですから。試合の途中で清峰くんの手が震えたっていないもんはいないんです。仕方ありません。あ、チャイムが鳴りましたね。黙って前を見て座ってください。ワンドロのゆるゆる具合に身を委ねましょう」
ホースで放水、防水丈夫なバッテリー。チェケラ!